女神は二度微笑む
踊らないインド映画。これだけは隠さず言おう、「踊るインド映画が見たい」。
サムライ、ニンジャ、ゲイシャが見たいアメリカ人みたいな感想ですいません。
この映画自体はそこそこ面白くて、なんだか賞を取ったりしてるようだけど、あくまで踊らないちゃんとしたやつだ!みたいな物珍しさで加点されてる印象。
内容は比較的ライトなサスペンス。インドという素材は良いだけに、単にハリウッドライクな要素だけじゃなくて、東アジアの映画みたいな独特の持ち味が出てくるといいな。
博士と彼女のセオリー
評判通り、エディ・レッドメインの演技は抜群。
ジェーン役のフェリシティ・ジョーンズも映画の中ではチャーミング。
※画像検索するとひたすらケバい。常に目の周りが黒い。
面白い。満足度は高い映画ですが・・・
この手の映画は、現実の厳しさが映画としての美しさにどうしてもマッチしないんですよね。ホーキング博士の人生は決して悲劇じゃないのだけど、終盤の展開はちょっと映画の中では筋が通っていないし、それなりにオシャレな描き方はしているもののやっぱりバツが悪い。
完全フィクションであれば、それはもうドロドロ悲劇に振り切るパターンもありかと思うんだけど、現実の人間はそこそこのところで妥協して生きていくわけです。
というわけで、映画を芸術作品的な捉え方で見た時に、惚れ惚れするような完璧感があるかというと、そういう映画ではないなあという感想です。それが映画のすべてでは無いので、僕の捉え方の問題ですが。
ホドロフスキーのDUNE
たまたま見たSMAP×SMAPで斎藤工が香取慎吾にオススメしてた。
それが去年で、劇場公開もたしか去年なんだよね。今年になって渋谷のアップリンクで2週間くらいの上映があったので見てきました。アップリンク初めて行ったけど面白いね。小さめの箱で、リクライニングとかリラックスできそう系の色んなチェアが置いてあるだけなの。ホームシアターみたいな。そこで30人位?で見るのなかなか良いです。
ホドロフスキー監督がDUNEという超壮大なSF映画を撮ろうとして挫折したドキュメンタリーです。挫折というのはざっくり言って誰も金を出してくれなかったということなんだけど、内容がとにかく本当にもったいない!
キャストとスタッフがやばい。ミック・ジャガー、ダリ、ピンク・フロイド・・・
そんな映画が実現していたら、どんなことになっていたのか。半信半疑にならざるを得ない、尋常じゃない企画でした。
見ていると、ウオー!!!!と言いたくなる内容ばかり。企画は頓挫したけれども、その後の映画界に与えた影響は大きいようです。
ホドロフスキー氏については、喋るとわりと一般的な熱い芸術家オッサン的コメントも多いですかね。彼の正当性よりも、感じるべきは彼のパッションですね、パッション。
ぼくたちは上手にゆっくりできない
安達寛高(乙一)、桜井亜美、舞城王太郎の3人の作家がそれぞれ作ったコーヒーにまつわるオムニバス映画。
良いショートムービーでした。レイトショー公開というのもまたオツですね。まさに夜に飲むインスタントコーヒーのように素朴に味わうイメージ。
安達監督/Good Night Caffeine
あったかいですね(冷たいのに)。1秒1秒が味わい深いです。
桜井監督/花火カフェ
せつないですけどやばみがあります。独身女性の部屋が舞台の物語は常にやばい雰囲気があると思うんですが、どうでしょうか。単なるスケベ心でしょうか。
舞城監督/BREAK
巧いです。職場の女性があーこの感じちょっとうざいのではと思わせてからの、あれ?ジワジワ…ハッ!とするまでの流れ、主人公の心とシンクロするようになっててすごい。
ところで、実は公開初日に行って舞台挨拶も見てきました。感想はというとですね、監督も役者さんも人前で緊張している!あるいは居心地の悪さを感じている!と言うことです。これはなんかホッとしました。人類みな兄弟や。
さらにですね、限定部数、3人の作家さん描き下ろしの小説が入った小冊子が頂けたのです!これがまた面白い。さすが作家。この淀みなさ。
安達さんと桜井さんは「舞城王太郎」という同タイトルの話を書いているんですが、これが舐めきっててうける。そもそも舞城氏は覆面作家である、というところから出発するのは同じなんですが、本当のようなどう考えても嘘っぱちのような内容で最高。
僕は、小説は喜劇だろうが悲劇だろうが、本当に気に入った作品に対してはなぜか「これが本当の話だったらいいのに」と思ってしまうのですが、この作品がそうでした。
一方舞城さんの「安達くんと桜井さん」という小説はもう完全にSF。純粋に面白い。こういう、人を喰った話というのが大好物かつSF大好きなので、これはもう面白いに決まってます。
イントゥ・ザ・ウッズ
突然ぶっこんできますが気にしません。
とにかくですね、雑多な物語を詰め込むのでめっちゃ大雑把です。でもディズニーだしそれなりにまとめてくるかと思いきや、結構後味も悪い。
これ、もしかしてなんですけど、脚本の方のトラウマとか恨みとか、そういう個人的な意図がものすごい濃く影響していたりしないですかね。一般的なディズニー映画の教訓めいた部分がかなり偏ってるんですよ。なんだろ、人間の業みたいなものを感じてそのまま終わる。
特に、主人公サイドは母親がいないあるいは母親的存在が不十分という共通点に不穏なものを感じます。それでも大丈夫!ではないし、やっぱりお母さんが好き!でもない、その母達は何かしらの罪がありその為に死ぬなりなんなりの罰を受けてしまうんです。
ここで前述の部分がひじょ~~~~~に安直に思い起こされるのですが、もしかして、離婚?家庭環境?
こんな下衆な想像をしてしまうのは、やはり森のせいですかね。森は人を惑わせる。本当にヤバイ森に迷い込んじまった感を楽しむのが良いのかな。
神々のたそがれ
こいつはすげえやってやつ。雨と泥と糞にまみれたモノクロ映像をたっぷり3時間。
前評判が大袈裟で胡散臭くてさ、「これを見ずに映画は語れない」だの何だの言いよるわけですよ。またよく言うよ…と若干斜に構えちゃったじゃないですか。
これが実際見てみたらなんの、「は?わけわからん汚い長い」
それも事実。もう見始めてあ、これやばいと思ったし、ヤバイと思ってえまじでこれで3時間?ってソワソワしてる人たちも確実にいたし、2人で見に来た人どんな気持ちなんだろうと思ったし、エンドロールに入るや否や席を立つ人も一定数いた。
だけど、良いなと思っちゃった…
ストーリーはね、
- 舞台は地球ではない惑星。地球より800年くらい文明が遅れてる。
- 大体中世のルネサンス前夜という時期。
- 住人と生物は地球と同じ。雨が多い土地らしい。
- 主人公は地球から来て現地の貴族になりすまし観察する人。
- 貴族というか神的な扱いをされてる。
- 現地の権力者が文明を破壊する方向に支配をはじめる。
- あまり介入しちゃいけないけど、主人公は我慢できずに介入する。
- その結果めちゃくちゃになってワーってなって皆殺し。
という映像からは想像もつかないSFなのです。
※見てもわからないストーリーの詳細解説はやたらぶ厚いパンフレットにわかりやすく書いてあるので興味があればそちらを参照するのが良いと思います。
まず上記の説明はもうほんのさわりしかなくて、ただただドキュメンタリー風とも言うべきか、主人公をだらだらと追いかける手持ちカメラの長回しが続く。
しかも、あろうことか主観視点と客観視点が混ざり合う。住人がカメラを覗きこんでくるんですよ。どうも主人公の顔を覗きこんでるらしい。と思ったらそのままシームレスに客観視点に移り変わって主人公がカメラに映る。なんの断りもなく超現実を受け入れることを観客に要求してきます。だけどこれは唸る映像体験。
パンフではウェアラブルカメラのような設定を意識しているのでは、とありました。あくまで惑星文明の観測者だからね。まさかのタイムスクープハンター視点。
とにかく何がどうなっているのかって説明が全然ないんですよ。登場人物が口走る会話の端々を拾ってなんとなくこいつが偉いのかな、こいつとは仲間かな、とざっくりと認識するのみ。こっちが馬鹿になったみたい。
そう、観客はアホ面して主人公を追いかける奴隷みたいな存在になる。
いいなと思うポイントも自分でもわけわからん。結構寒冷な気候で雨と湿気がすごい惑星のようなので、みんな鼻水すすってるんですけど、その感じがいい。
そして降っては止みを繰り返す冷たいスコール。雨の音が鳴り続く。
鼻をかむ時に奴隷から差し出されるきれいなハンカチ。
衣擦れの音、歩くときにガシャガシャ鳴るブーツの拍車。
そしてこの混沌の中でひときは異彩を放つ、神の御音たるサキソフォン(もどき)の音色。この音色が物語の最初と最後に入るのですが、最高すぎる。
映画の可能性として、筋書きがどうのとか演技がとか音楽がとか映像美がとか伏線がとかそういう既存の価値観を完全に無視して聳え立つ異様な巨塔。ものすごいパワー。
ひとことで言うと、ダイオウイカのスルメくらい奇妙な映画です。