大阪出張にかこつけて、GW初日に大仙古墳(仁徳天皇陵)に行って参りました。
大阪旅行というとグルメかUSJなので一人で行っても特にすることないんですよね。難波も梅田も北新地もお初天神も日本橋ももう何度も行ったから目新しさもないし。
そこで、本来縄文時代びいきで、色気のない弥生~古墳時代はあまり気合の入らない僕ですが、古代ということで一度は見ておきたい大仙古墳に行ってみることにしました。
これから紹介する古墳は5世紀前後に築造されたものです。初代天皇神武天皇即位の紀元前660年より下ること約1000年、蘇我氏や聖徳太子が活躍する飛鳥時代から約100年前の築造物。僕が好きな縄文時代からは最低十数世紀離れてるわけで、つまり土器や土偶と埴輪をいっしょくたにする事はあまりにも雑なわけでフンガイしております。古墳だけに。
最近こそ古墳ファンの存在が明らかになってきましたが、陵墓の築造は昔過ぎて基本的に山にしか見えないし、前方後円墳の特徴的な鍵穴形はヘリとかじゃないと見られないので、エンターテインメント性が著しく低い。築造当初はきれいな石葺きがされていたり、無数の埴輪が並べられていていかにも儀式的な雰囲気があったと思われますが、現在は鬱蒼と樹木が生い茂る小山となっていることがほとんどです。
意外にもアレ古墳だったの?という場所も多いですけどね。すでに宅地開発がされていたり、公園の一部だったり、神社になってたり。
大仙古墳があるのは大阪府堺市です。西日本のすごいのは、この堺市から東にずずとGoogleマップなどを見ていくとまあ古墳の多いこと。奈良の平城京周辺の古墳まで辿り着いたら、今度はまっすぐ北上して京都まで来る。そうすると京の都の西側にこれまた古墳が並んでる。
大仙古墳の地域にある古墳を百舌鳥(もず)古墳群と総称します。今回はこの古墳群の代表的な古墳を巡りました。
1.上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)
生垣のレッドロビン?でしょうか、古墳の新緑とのコントラストがきれいですね。
古墳の名前ってのがまたややこしいですね。学術的名称(教育委員会などが使用)と、地図等でよく使用される(天皇名)陵/古墳という一般的な呼び名、そして宮内庁が治定する名称の3種類くらいがあったりする。そしてこれらの混合もあってめちゃくちゃ。タイトルは「学術的名称(一般名称)」という風に記載しています。
石碑には「履中天皇百舌鳥耳原南陵」と彫ってある。「百舌鳥耳原」については後述。
基本的に宮内庁が管理している陵墓は立ち入り禁止かつ歴史調査すら行われていないことがほとんどです。写真で分かるように、鳥居=神様の通り道しか設けられていない。
この陵墓が履中天皇のものだとしているのは宮内庁ですが、履中天皇は仁徳天皇の第一皇子であるはずなのに、仁徳天皇陵よりも築造が古いようです。日本書紀の記載も時系列的な矛盾点が多く、この辺りの調査をしっかり始めてしまうと宮内庁が正としている歴史がいろいろ書き換わりそうですね。別にそんなことで国家転覆だなんだという人はほとんどいないでしょうが、なんとなくバツが悪いのか21世紀になっても大規模調査には踏み出してないのが現状です。
2.いたすけ古墳
廃墟感あふれる趣深いエントランス
こっちはいたすけ古墳としか呼ばないのね。さっきの説明はなんだったのか。
ここは非常に自然を感じる古墳でして、秋は紅葉が素晴らしいそうです。今回、なんとタヌキと遭遇しました。
周囲は濠が掘ってあるわけですから、この古墳の上にひとつの生態系が!
しかしこの壊れた橋はなんなのか・・・橋脚がコンクリート、橋桁は木造支柱にアスファルト舗装というありあわせ感。なぜか解体はされていない。
ところで古墳というのは住宅地にいきなりあったりする。周辺住民にとっては子供近寄るべからず的な場所であり、水質によっては異臭が発生したり、虫や蚊の発生源でもあるわけで、古墳のある生活というのはどんなものなんでしょうか。
一方で、このいたすけ古墳は住民運動によって宅地開発から免れ、全国でも文化財保護運動のきっかけになった場所でもあるらしい。当然シンボル的な愛着もあるだろうなあ。
3.百舌鳥御廟山古墳(御廟山古墳)
前方部のセクシーな角が楽しめるアングル。左奥には奥ゆかしく後円部のまるみが。
宮内庁は「百舌鳥陵墓参考地」に治定。参考地ってなんやねん。
堀を巡る遊歩道に小さな神社がありました。
4.大仙古墳(仁徳天皇陵)
圧倒的スケールを誇る大仙古墳。まあ平地で見てもよくわからん。
歴史の教科書に載ってる一番有名な前方後円墳ですね。
世界3大陵墓にも数えられ、ギザの大ピラミッド、秦の始皇帝陵墓(兵馬俑)を抜いて世界最大の面積を誇る陵墓です。でかい。
二重の周濠による距離感、厳か度MAX!
宮内庁では「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」と呼称。
前述した「百舌鳥耳原」という言葉について、説明の看板がありました。
まず、ここの地名を「百舌鳥(もず)」といいます。最寄駅は「百舌鳥駅」。その由来がすごくて、この大仙古墳の築造をはじめたところ、森から1頭の鹿が走り出てにわかに倒れたそうな。人々が調べてみると、鹿の耳の中から1羽の百舌鳥が飛び去り、鹿の耳の中は食い裂かれていた(!!)。これにちなんで、この土地を「百舌鳥耳原」と名付けたとのこと。
出ました故事に突然登場しがちな無駄バイオレンス逸話。
事件自体がショッキングだし、あまつさえそれにちなんで地名にしちゃうという。ちなむ?普通?
まあ完全に憶測ですが、鳥はよく神の使い的な扱いをされることを考えると、鹿1頭が築造にあたっての神の賜物であるという慶事としているのかもしれないですが、昔の人の考えること理解できね~ジェネレーションギャップまじやばくね。
さて、JR阪和線・上野芝駅から1時間半ほどかけて徒歩で巡りました4墳墓。これだけ近くに密集していると、一つ目の古墳から次の古墳の森がちらと見えたりして、古墳ラリー感が楽しい旅でした。紅葉の季節が美しいらしいというのはひとつの発見だったので、機会があれば古墳の紅葉を撮りたいですね。
おまけ
僕が古墳巡りをした前日、興味深いコンテンツがアップされていたようです。
srdk.rakuten.jp
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みなさんも是非モテカワ古墳コーデで古墳ツアーに出かけてみて下さい。