円城塔のトークショーにまた行ってきたよ

またトークショー行って来た。

円城塔×佐々木敦 『エピローグ』と『プロローグ』のあいだ ー世界・SF・私小説

というやつです。やっぱりこういうのは同じ人が結構参加してそうですね。

ちょこちょこメモしながら聞いていたので、気になった話などを少し紹介したいと思います。

プロローグ (文春文庫)

プロローグ (文春文庫)

 

 

エピローグ (ハヤカワ文庫JA)

エピローグ (ハヤカワ文庫JA)

 

 

プロローグとエピローグを同時連載する企画のきっかけ

長編を書けといろんな人から言われていたからとのこと。芥川賞を取るまでは原稿用紙100枚くらいの短編を続ける期間があり、いざ賞を取ると今度は長編、それも連載が作家の次のステップだというような雰囲気があるらしい。

面倒なので延ばしに延ばしてたまたま連載の依頼が重なり、じゃあ一緒にやっちゃえとなったそうですが、そんなもん・・・?

 

目論見は「赤ちゃんプログラミング」?

プロローグは最終的にディープラーニングを触るところが目標で、毎月執筆自動化ツールを少しずつ習得して行く予定だったとか。したがって「日記になりますよ」と断りを入れたとか。プロローグを書いて得た技術でエピローグを書いて行く予定が、途中でSFマガジンが隔月発行になるという「外からの攻撃」によって妨害されたとか。

作中に登場する「赤ちゃんプログラミング」が理想だったのかもしれないですね。赤ん坊と一緒に育つプログラム(技術)。しかし全く辿り着かなかったそうです。実際にお子さんが生まれたこともあり完全な時間不足であったと。

 

執筆実演!

当日、会場に来るまでの間に九段下あたりから見える靖国神社の巨大な鳥居を見てSFだなと感じたという。ロボだなと。日本に無数にある鳥居が襲って来たらどうするのか。対抗できるとしたら仏像ではないか。襲いかかる鳥居に立ち向かう巨大仏像たち。しかし鳥居はそこここの小便禁止の張り紙から、伏見稲荷の千本鳥居から次々と飛び出して来る・・・

おお、円城塔の小説だ・・・!って感じですよまさに。執筆実演という感じでなかなか良い体験。

 

現実をチョンとつまめればいい

ええと、どういうくだりでこの言葉が出て来たんだっけな。おお!なるほど!と思ってメモしたんだけど・・・

確か飛浩隆の小説にあったと思うんだけど、「世界に右クリックを」って発想に近かったような。円城さんが良く言う「見たままを書いただけです」とはどういうことか?という永遠の謎を佐々木さんが追い求めたことに関連した内容だったような・・・

 

SFの単語が更新されていない

SFの課題というか、登場する技術はどんどん更新していかなくちゃSFじゃないんじゃないかという問題意識があるとのこと。実際停滞していませんかと。そういう意味でプログラミングやディープラーニングという話に繋がって来る訳ですね。なるべく実践しようと。藤井太洋さんはかなり頑張っていらっしゃりすごいとも。

 

今後どんな方向へ向かうか

今年は文字渦の単行本が出るはずということで、かなり日本語あるいは日本に接近するようです。質疑応答でも、プロローグとエピローグで記紀がモチーフになっていることについて、雨月物語をやったあたりからあれ、日本語ってなんだ?日本ってなんだ?と考えるようになったと回答。また、大阪に住むことで実感した、東日本とは異なる大和朝廷史観の存在も契機となっているとのこと。

一方で「5万部売れる小説を書く」という謎の具体的目標を掲げ始め、歴史物とかいいんじゃないか、生活があるから、とか本気なのかなんなのかわからない発言を連発。最終的に「日本列島に大陸の北から南からそれぞれ別の言語を持つ民族がやって来て出会った頃の話を書く」という完全に5万部売れないアイデアに辿り着き早くも計画が頓挫した。

実際のところはコードが書ける編集さんを探して取り組みたいアイデアが一つ、メカ藤原俊成を作って現代の和歌から勅撰集を作ったら良いのではというアイデアが一つ、そして現在進行形で何かは言えないでかい案件が一つ、という話が現実的なところなのかな・・・?

 

あとはあれですね、どこで出た話か忘れたけど、ボルヘスは結構ふざけてる人なのにみんな真面目に読みすぎという指摘が面白かった。関西弁で翻訳したらいいんじゃないかってのは笑いましたね。

 

で、トークショーに参加してその後も色々考えてみて改めてプロローグとエピローグについて思うところでも書いて締めましょう。

 

簡単にいうと、レムじゃね?という話。

プロローグとエピローグというセット自体は、レムの虚数や完全な真空みたいに架空の本の書評や序文というところからの着想だったんじゃないでしょうか。昨年末、レムの鼎談では完全な真空が一番好きだと言っていたし、未来のゲームレビューサイトという設定の赤野工作著『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』も絶賛していたので、「本体が無いがあるかのように書いた話」にかなり興味があるのではないかと。

プロローグではこれはある物語の物語である…とはじまり、エピローグでこれは物語のその後の物語…と描かれる。テーマ(かつ主人公?)が物語(ストーリー)なので、「物語の物語である・・・」とかややこしく見えるけど、こうしてレムと並べてみると、あからさますぎるほどに文字通りにも思える。

また、両作にはもったいないと思わせるほど雑多なアイデアが放り込まれていて、その点は佐々木敦さんも指摘していた(「ひとつひとつのアイデアを膨らませて別の作品書けそうなのに」)けれど、このアイデアの無駄遣いということこそ円城さんがレムを評して言っていたこととまるっきり被ってくる。アイデアは提示するからあとは考えてよ、わかるでしょ?というスタンス。

 

ということで、文庫本が出たので2回目として読み直して、本人の話を聞いて、過去を振り返ってみたらだいぶスッキリして来た気がします。いつも難解だと言われているけど、本人は「見たままを書いている」と言うだけあってコンセプト自体はかなり単純なことが多いんじゃ無いかと思い始めています。結局そこに至るプロセスが数学的だったりプログラミングだったりで僕らには難しいんですけどね。

プロローグまた読みました

いわゆる私小説であり、わたしの小説でもあるというのはどうかな。わたしの小説、わたしを(書く)小説、わたしが小説。かなりSelf-Reference ENGINEですね。単行本既読なので2回目ですが明らかにより面白くなったしより理解できたと思います。

読んだので、作中で気になったところにいちいちコメントする記事を書きました。この作品の構造を解説しようという気はさらさらなく、非常に個人的な共感や内容と無関係な連想なんかをですね、並べて行く訳です。読書日記ですね。

では、章I〜XIIまで、気になった部分をページ数をつけて引用してコメントします。

 

I

p9 吉祥寺のアーケードにあるエクセルシオールカフェの二階

のっけからなじみ深過ぎる場所が出て来て仰け反った。人生で2番目に多く通ったカフェでは・・・


II

p47 ともかく最初の人類はただ二人きりではなくて、ある程度の大きさの集団だったはずだろう。

そうですよね。結局は定義の問題になる。「現生人類とは」に対応する定義を決めたところで、その定義を一部満たし一部満たさない集団がいたはず。彼らの個体間にも差異があり、親と子でも定義を満たしたり満たさなかったりする時代が数万年ほど続いたのではないか。いつしか定義を全て満たす個体しかいなくなるが、それまでの間、60%や80%の個体が定義を満たしていた期間を現生人類としなくて良いのか。つまるところ、明確な切り分けはできないとなる。

p54 『すらいムしよう!』

驚くべき事にニコニコにプレイ動画がある。

p58 山幸彦と混じっているのではないか。

古事記ネタ。何気に山幸彦は神武天皇のお父さん。

 

III

p85 蟹としての風味は弱く、南国らしい淡白さ、オリオンビールのあのすかすかとした感じと似たものがあり他の地域で食べるとあまり美味しくないのではないかと思う。湿度の高い気候に、レモンや溶かしバターがとてもよく合う。

これは常々僕も感じている南国テイストの話で、南の国は味が淡白ですよね。ソーキそばとかフォーとかカオマンガイとか。青島、シンハー、オリオン、カールスバーグ(輸入だけど香港などよく出る)等々ビールも薄い。

持論では蒸し暑いところではコクがあり過ぎると鬱陶しいのだと考えてます。個人的には結構好きです。

p92 「イエメンで鮭釣りを」みたいな響きだ。

白水社のエクス・リブリスシリーズから出ているイギリスの小説。面白くはあったがラストのオチがあまりにもイギリスらしい終わり方で(イギリスの文化に)呆れた印象が強い。

まずイギリス映画についての偏見として、イギリス人は首が飛ぶのが好きなようである。とにかくオチでいかに景気良く首を飛ばすかに賭けている節がある。ギロチンと言うとなんとなくフランスをイメージするが、イギリスも負けず劣らず処刑見物が人気の娯楽だったと聞く。ハリファックス断頭台という発明もある。考えてみると日本には切腹という独特な文化があり、イギリスでは首切りなのだということだろうか。

まあ別にこの小説では首が飛んだりはしないのだけれど、それに近いブラックユーモア(なのか?)が唐突に現れてやれやれと思わずにはいられなかったです。

ちなみにこの小説、なんと映画化までした上、日本でも公開されている。

 

IV

p93 昼日中でもあったから、いきなり柱を巡りはじめて出会い頭に繁殖を試みたりすることもなく、非常に事務的にことは進んだ。

これも古事記日本書紀。前文の河南の地が生まれたことにかかっており、古事記ではイザナミイザナギが柱を巡って出会い頭に繁殖を試みたところ日本列島が生まれている(本当に)。エピローグにおけるイザナミ・システムとイザナギ・システムに対応している。

p113 『宇宙戦争』は一八九八年だから、漱石の英語留学より先だなとふと思う。

夏目漱石の『思い出す事など』では留学での学びに関することが書かれていて、宇宙に関する話題も多い。7項などはTumblrでも流れたりしてきてなかなか面白いものです。

 

V

p128 羽束は路線バスというものがどうも苦手だ。前から乗るのか後ろから乗るのか、先払いか後払いか、整理券があるのかないのか、どうも変に緊張する。鉄道ならばどこも大抵乗り方が決まっているが、バスの乗り降りには意外と多くの作法があって、しかも現地の人々は他の方法がありうるとは思いつかないかのように当たり前の顔で昇降している。

禿同というやつである。いつ来るのかいつ着くのか、もう来たのかもう出たのかという点も。通勤通学でバスが必要だったことがないので馴染みがないのだ。

p130 「楽をしたいね」と言う。椋人曰く、自分は楽をするための労力は惜しまない人間である。その工夫のために執筆や話の筋が進まなかったとしてなんであろうか。

この矛盾は昔からなんとか正当化しようと思って生きてきたテーマですね。シャーマンキングの葉もそうだったけど、僕もその仲間です。今の所、楽をするための労力は楽しいと思えるものであればそれも楽のうちである。と言うのが落としどころかなと考えております。月並みですが。

p146 サイバーシン計画

書中でも説明があるが、チリで行われたテレックスによる計画経済(計画生産)システムの試みのこと。社会主義由来のサイバネティクス技術に基づく共産主義的な発想。テレックスとはなんぞやと言うと、電話回線を用いて文字情報をやりとりする機械であり、パンチカードを吐き出すタイプライターのようなものであるようだ。

 

VI

p157 「伏見稲荷大社は」「行きました」「上の方も」「それは勿論」

伏見稲荷に行ったという人がいたら「上の方も」と聞くのがしきたり。僕は「上の方も」行った人には出会ったことがない。自分自身も途中で降りた。

p163 鞍馬寺は魔王を祀ってるんだよ

本書プロローグの単行本が出たのが2015年11月。文學界では2014年から連載しているけど僕は単行本で初めて読んだ。なんとこの年、僕は2015年の4月に京都旅行に行き、実際に鞍馬から貴船まで徒歩で観光したのである。そして鞍馬弘教と神智学のオカルト感溢れるあれこれを調べたりしていたのだ。

もっとも、もしかして連載の情報が何処かから漏れ聞こえて来ていて頭の隅に鞍馬寺に行きたいという意識が埋め込まれていたのかもしれないけど。

ちなみにこちらの記事で旅行記を残しています。普通に観光ルートとしておすすめですよ。

sokonuke.hatenablog.com

p186 一日必千人死一日必千五百人生也

古事記にて、亡くなったイザナミを黄泉の国に訪ねたイザナギは妻の変わり果てた姿に慄き逃げ出してしまう。イザナミは怒りどこまでも追いかけて来るが、最後に大きな岩で道を塞ぎ現世に戻る。岩を挟んでイザナミ曰く、この恨み、日に千人の命を奪って思い知らせてやると。イザナギ曰く、君が日に千人を殺すのならば、私は日に千五百人を産もう。こうしてこの世は日々人が死に生まれる国となった。

 

VII

p198 これはどうやらはるばると、荻窪から移設されてきたものらしい。

こうして2年半越しに読んでみると、自分の方が荻窪へ越してきているのである。不思議なものだ。

p200 ニューエイジと言えば、フリーセックスにドラッグ、密教といえばドラッグでもあり

密教ニューエイジデトロイト漱石、マイアミで古今集みたいな。

p209 明治日本の進化論の受容とかも謎なんだよ。大抵、揉めるじゃない。我々は猿ではないとかいって。でもなんか日本の場合は、なるほど猿であったか、お説もっともである、そう言えばかねがね隣のあいつは猿に似ていると思っていた、っていうくらいの感じですぐに受け入れるんだよ。

またも漱石の進化論好きに接近する内容。

 

VIII

p225 モルグという名のオランウータン

オランウータンの名前としてこれ以上の悪ふざけはない気がする。この章に関してはほとんど自分が見知ってきたことと繋がらなかったな。

ほんの少ししか関係ないけど、ジョジョ3部のストレングス戦はポーが若干なりとも下敷きになっているのでしょうか。

 

IX

p255 十円安く買うために交通費を百円かけるか、その場で十円高いレタスを買うかと行った話だ。

全く本筋に関係ないですが、ここまで極端じゃない場合、どう考えて良いかって難しいよね。特に100m離れたスーパーに行くかみたいな直接金額にできない事柄とか。

例えばそれを勤め先の給料で時給換算してみたり、往復200m歩く際の消費カロリーで計算してみたりという案くらいはすぐに思い浮かぶものの、結局は変換に変換を重ねただけで適切な値付けが難しいという問題はなんら解決していないわけです。

そういうことばかり言っていると機会費用を言い訳に浪費を続けることになり、現実的に入手できる現金は限られており、機会費用などというものは著しく流動性が低い代物でしかないのだから、というあたりまで考えたところで面倒臭くなるのがいつものパターンというやつです。

p261 パッケージマネージャーは本来、そういうソフトウェア同士の競合を避けるために導入されるもののはずだが、それ自身依って立つ所もまたソフトウェアであり

エピローグのバージョン管理エージェントのバージョン管理エージェントというところに対応。やはり現実の話なんですねー。

p268 坂上田村麻呂と言われると、どちらかというと悪人だと感じる。

こういう地域的な歴史教育ってどうやって実行されてるんだろう。国レベルならまだしも、日本国内でそういうのが食い違うっていうのは。会津が長州を許さないだとか、いつ教育されるのだろう。

千葉育ちではそういう歴史イデオロギーが薄くて想像がつかない。いや、もしかすると当たり前だと考えている歴史が他県のそれと違っている可能性はあるが、少し頑張って客観性を働かせてみても千葉はほとんど無いと思う。

p269 天の岩戸は宮崎県に存在する。瓊瓊杵命の鉾は高千穂の山頂に刺さっている。そうして黄泉比良坂は島根県に実在するのだ。

これは本当に変な気持ちになることである。そんなあっけらかんと存在して良いものでは無い気がする。黄泉比良坂は島根旅行の際、迷ったが近場に何もなく実際そこにも何があるわけでも無いということでやめにした。

p273 いわゆる視肉で肉芝で太歳で

太歳というとFF11の「峠の太歳」を思い出しますね。オンラインゲームの中で生まれたフォークロアと言える。「峠のTaisaiがリフレシュを落とした」(ラングモント峠という場所でTaisaiという敵がリフレシュという魔法を覚えられるアイテムをドロップした)というデマが駆け巡り、かなりの長期間、くだんの峠にプレイヤーが集結した。

 

X

p298 こういうことを書いていると、それは生物学の知識として間違っている、そういうところが駄目だと小説も駄目になるんですよ、僕は昔そのあたりのことを調べたことがあるからよく知っているんですとか、したり顔で言い出す人が出てくるが

あの人だ・・・

 

XI

p321 だから星川は、Wi-Fi環境下にいることは、人間の基本的人権に近いものだと考えている。

頻出です。テストに出ます。

p323 ちなみに現在の地上にはルートサーバーは十三台あり、十三台しかない。

でも分散処理をしているので物体としてはもっとあるというあまり面白くもない現実。バズりそうなネタはよくよく見ると但し書きがついているものだ。

p333 ここはあれだろ、大谷資料館。

帝国ホテルの大谷石はここの布石であった。石だけに。

もはや不気味ながらこれも単行本発売1ヶ月前に僕も訪れた場所なんですね。

まあ大谷採石場跡はなかなかの場所ですよ。関東の人は餃子でも食べつつ日帰り旅行などして見ても良いと思います。

 

XII

 p345 そこからカリフォルニア・ゼファーに乗り込み

 アメリカの荒野を駆け抜ける高速鉄道については円城塔の奥さんである田辺青蛙による夫婦エッセイ「モルテンおいしいです^q^」に詳しく書かれている。

p358 こうして地ならし作業を続けているだけにすぎない。何を迎え入れようとしているのだろうかと思う。自分たちはいつか「生きた人間」を小説に迎え入れるためにこんな作業を繰り返しているのだろうか。

ここでネタばらしというか、エピローグへ続く。という話になるのですね。

371 わたしは今この最終回を、荻窪サンマルクカフェで、荻窪フレッシュネスバーガーで、吉祥寺のエクセルシオールカフェ

最後の最後に来てまた怒涛のよく行くカフェ被りである。

 

次回はトークショーのことを書こうと思います。

ボツツイート集2017

今年もTwitterの下書きを一掃したいと思います!

やはり躊躇するだけあって社会派のしゃらくせえツイートが多いですね。あとはうんこでしょうか。 例によって今回もツイートにさらに一言コメントを追加する無駄の重ね塗り形式でお届け致します。

 

鍋焼きうどんってうどんにコシがない方がうまいと思う

ダシがしみる。確かにそれもなんですけど、全体的なバランスとして。ホフホフ食べたい。

ガムランを聞きながらうんこしたらデトックス効果が高まるのではないかと閃いたのですが誰か試しませんか。

ガムランとうんこって合う気がしませんか。

「キリンの反芻」ってことわざにならないかな。無駄骨を折ること、あえて面倒なことをすること、とか。

するらしいんですよ。あの距離を。

夜の言問橋はかっこいいで

写真撮りに行こうかな。うまく撮れるかな。運転してると撮りたい風景によく出会うんだけど車だから通る場所なんですよねー。

ダブルベンツのスーツってうんこするとき少し注意が必要だよね。

こう、垂れるじゃない。裾が。

2万円盗む泥棒を捕まえるのに5万円かかるとき、おれはやーめたってなるけどみんながそうだと2万円盗み放題になる。ここで自分の損得を気にしない癇癪持ちが意地で泥棒をとっちめる。つまり短気で怒りっぽい人も必要悪。おれはその人たちの作る平和にタダ乗りしていきたい。

癇癪というのは失礼でしたね。れっきとした被害者ですから。

キンコツリューリュー

自分の中の旬が短かった。

例えば田舎の暗い国道の先にぽつんとコンビニの明かりが灯ってる切なさと暖かさを、君の名はを経たこれからのアニメは描けるかもしれないということなんですよ。

君の名は。はそんなに好きではないんだけど何かと比較してバカにするのもちゃうやでっていう意見。

歳を取ったのか松居一代みたいなコッテリした案件はどうも箸が進まなくなってきまして

どうですか?今の時代、もっと簡単に消費できる軽いネタの方が乗りやすいですよね。

パックンが言ってたけど大人は子供より学ぶスピードが断然速いというのはよくよく認識しておくべきだよね。

大人の方が勉強得意だって絶対。短時間で学べるのだという意識を持って学びたい。

著名人の相撲観戦、アメリカにおけるボクシング観戦と同じニュアンスじゃないかな

日本映画にそういうシーンが欲しい。

メイスン&ディクスンを読んで感じたのは、思ってた以上に人間って線を引かれると殴り合っちゃうフレンズなんだなってこと。線を引くこと自体も是か非かで線が引けちゃうんですね。殴り合いは嫌だから線を引かないでくれ!と言うために結果殴り合ってしまうこりゃ原罪重すぎやでぇって感じ。

ワタクシ、子供でも線を引かれると敵対心が湧いてしまう「ドッヂボール理論」というのを提唱しておりまして、自説ながら色々と応用が利くのではと感じているところです。

ムカつく上司とかへの対処法(受け止め方)みたいなライフハックたまに流れてくるけど、それが必要な人は多分長続きしない気がする。長年にわたる昆虫観察や動物観察等のバックグラウンドがあってはじめて思考癖として染み付くものではなかろうか。

「この人はそういう環境で育ったのだから仕方がないんだ、と考える」みたいなライフハックを見て書こうとしたやつ。140字では前半部と後半部を繋げられず諦めました。まあ無理でしょ。そう受け取れる人は良くも悪くも他者を自分がコントロールできるものと捉えていないんですよ。夏は暑くて冬は寒いみたいな自然現象と一緒。そういう意味で人を見下していると受け取られることもありあまりオススメしたい性格ではない。

ひらがなの「い」が文字の体をなしてないという外国人の指摘を考えると、「いしい」さんなんかはそんな描き損ないのヨゴレみたいな苗字で悔しくないのかとか言われそうだな。

日本人からするとアラビア文字も理解しがたいですけど、ひらがなもそう思われているようです。

「最近のワンピースつまんなくなった」って言ったことないと思うな

このセリフって大体自分が飽きた時に言う人多くない?

江戸とか明治の時代の学者の話を読もうとすると、その先生方のテキストは漢書だからほとんど知識がなくて歯抜けにしか読めないんだよな。その時代の学者先生が子供の頃から勉強したテキストってことは、ちょっとやそっとじゃ頭に入らんだろうなあ。

現代教育から見た近代・中世の教養へのアクセスのしづらさ。予想以上に色々なものが断絶し失われていそうで、このことを考えるとちょっと怖い。

戦前の建物とか街灯ってすごく手が込んでるものが多いけど、なんでそういうことができたんだろう。豪奢な建築なんかは富の偏りがないと難しいと思うんだよね。最近、貧困問題が取り上げられるけど、昔は皆が等しく貧しかった/現在よりも一層限られた人々しか裕福ではなかったということなんだろうか。それにしては遊郭なんぞはそんな少ない人々を相手に商売が成り立つんですかという感じもする。

ああいう街並みってもう作る事できないんでしょうね・・・

ミサイルに関してはまったく自分に関係することとして捉えられなかったな

Jアラートになんの緊張感も感じなかった。システムが悪いとかっていうんじゃなくて、なんか実体験とかそういうものが無い限りはおれもう無理だなって感じた出来事。

昭和レトロ趣味それ自体よりも昭和レトロ好きの雑さが嫌いみたいなとこある

やるなら徹底的じゃ無いと認めない。錆びた風の綺麗な印刷とかクソ喰らえ。

直径を示す⌀はギリシャ文字のφ(ファイ)とは違う記号で「まる」が正しい読みだけど、ほとんど「パイ」と呼ばれることが多くて、パイはファイの間違いだっていう問題

自分でも読む気がしない。

「女」を描いた作品に比べて「女性」を描こうとした作品はちょっと表面的なところで止まってるのが多い気がするな。それより「わたし」を描いたものの方がずっとよくて両方のテーマを含む気がする。

こういうのって具体例がないと胡散臭さがなーと思って。

虎の顔が前面にプリントされたTシャツを着せられた子供がおりこれが大阪の英才教育かと唸った。

東京でも見かけてやめたツイートですね。

中国と朝鮮の歴史に触れようとすれば右翼思想に邪魔をされ
日本古代史に触れようとすればオカルトに邪魔をされ
自然科学に触れようとすれば環境保護団体に邪魔をされ
経済学に触れようとすればビジネス書に邪魔をされ
栄養学に触れようとすればエセ健康ハウツーに邪魔をされ

 最近うまくGoogle検索を使えていません。ノイズがすごい。

同じ過ちを繰り返す人間とかっていうけど、ふつう動物って代を重ねても同じ過ち繰り返すしかできないし、多少なりとも進歩してるわけだから大目に見てやってよ。

まあ当事者になったら話は別ですが・・・

獣害駆除の話があると食えないのかって話になるけど、駆除したら獲れなくなるようなのはビジネスにならないよね。初期投資を回収して継続的に利益が出て初めて産業になるわけで、残念だけど焼却処分もやむなしだよね。

感謝して食べれば殺してOKというの昔から納得できないんですよね。食べても食べなくても人間の都合で殺すんだって理解した上でちゃんとその業を引き受けてやろうよっていう。だから殺すのをやめよう、というのも逃げですよ。いずれ間接的には殺すのだから。

働き方改革とかで勘違いしてる人がいると思うんだけど、基本的に人間は労働まみれで人生を終えるのが本来の姿であって、我々はそれを最大限圧縮してコスパが最強に悪い余暇にそのエネルギーを注ぎ込みたい系のハイパー過激派なのだってことですよ。

人間は歴史的に見ても働けるだけ働くし、他者に対してはそいつが働ける限界までその対価を値切ろうとする悲しい性があると思います。働くことで自己実現を感じる仕組みもあるし、我々がやろうとしている改革は遺伝子を超越する崇高な試みだと認識してこの聖戦を戦おうではないか。諸君。

小学生のときの校庭でダンスとか演目が始まる前のしゃがんで待機してるときに蟻が現れて蟻を観察してるときの気持ちになりたい

 急に志が低いな。

東西線大手町駅きれいになっとる

駅が変わるの好きです。基本的にリニューアルは全て好きです。

電車の窓枠に東芝製16GBのSDカードが置いてありかなり気になる。この気になる度を生かしたイタズラ何かできないですかね。

やめましょう。

twitterで嫌なこと言ってる人いてムッとすることあるけど、自分の知ってる人たちのことを考えるとそんな奴全然いない事を思い出して落ち着く。

2chでもありましたけど、なんかネットってその場だけが世界の全てになっちゃったり、存在しない敵を作り出したりしちゃうことありますよね。なるべく気をつけてます。

 

毎度ながら、冴えないですね。冴えないツイートを集めたのだから当たり前だけど。そう考えるとブログの方が自由だね!

またもや京都

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平等院は数年前に改修してましたね。

元からシンボリックな建物なんですね。両サイドの翼廊は登るための階段もなければ天井も低い。飾りだそうです。目的はただ極楽浄土の再現。

併設の博物館「鳳翔館」の展示がなかなか良いです。神殿のような(という例えでいいのか)エントランスを進み、控えめな照明に浮かび上がる仏像たち。最後の部屋には正面の壁一面に悲運に乗った躍動感ある木彫りの仏像「雲中供養菩薩像」。なるほど極楽浄土へ連れて言ってくれそうな浮遊感。あまり時間がなかったのですが、結構いくらでも見ていられそうな表情豊かな菩薩像です。

 

所変わって、伏見稲荷の門前ですずめの丸焼き。1回食べてみたくて。

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脳みそがおいしいよって言われたけど、首の骨が固くて一口で全部食べたらあんまり脳みそ分からなかった。骨はパリパリというよりはミシッて感じで、骨があるのがおいしいってわけじゃないですね。山椒とタレの香りが上品。

鳥の骨って鋭く割れるから危ないって聞いたことがあるんだけど、すずめは小さいからOKなのかな。まあ特に喉に刺さるとかってことはなかったです。

 

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さらに場所が飛びまして、京都市役所前駅祇園四条駅の中間にある龍鳳という中華料理店へ。写真はカラシ入りそばでございます。

おなじみ京都の中華です。カラシそば初めて食べました。うまい。麺に絡めたカラシがふわっとやさしく香ります。

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春巻き。これも京都風と言っていいのでしょう。とにかくやさしい味わい。全く強い香りがありません。内側の皮はモチモチしていてある種麺料理のようにも感じられる。

次に京都に来たら、椒醤酥鶏(カラシミソ)を食べて見たいですね。揚げ鶏に甘辛のチリソースがかかっている料理。酢豚も店によって個性があるそうなので、そちらも気になります。

 

ところで烏丸線の入線メロディ、ゼルダの伝説ムジュラの仮面のいやしの歌とそっくりじゃないですか?任天堂も京都にあることだし、なんか繋がりがあるのかと勘ぐっちゃいますね。


京都市営地下鉄 烏丸線 入線メロディ 高音質♪

LEM

スタニスワフ・レムを巡ってというパネルディスカッション形式のイベントに行ってきた。基本的には年配の方の方が多かったけど、まあ文学書籍のトークイベントなんて基本そうだろうし、テーマがレムなら尚更でしょうね。むしろ思ってたよりは若い人が何人かいたかな。一部は出版社とかメディア系の人かもしれないけれど。

レムに関するここ最近の話題として、国書刊行会のレム・コレクションが完結したこと、12月にEテレの100分de名著の題材としてソラリスが取り上げられることなどがある。

パネリストはレムの翻訳のほとんどを担当している沼野充義さん、アメリカ文学研究者でSF評論家の巽孝之さん、作家の円城塔さんの3名・・・そして沼野さんのTシャツにプリントされたスタニスワフ・レムさんの4名でした。残念ながらレムさんは一言も発しませんでしたね。

 

▼短編映画上映

まず映画の上映がありました。

原題"Przekladaniec" 邦題は『寄せ集め』。なんとアンジェイ・ワイダ監督。

1955年にラジオドラマ用の脚本として書かれ、1968年に本作がポーランドで放送。

レムが書いた脚本のタイトルは『Mr.ジョーンズ、きみは存在しているのか』で、英語圏では"Layer Cake"と言うタイトルだそうです。

レイヤーケーキというのはロシア・東欧あたりのケーキで、何層かにスポンジとクリームを重ねて作るケーキのようです。検索してみると結構普通のケーキっぽい感じ。

移植手術をネタにした半分コメディのような話で、何度も事故を起こして移植手術を受け続けた結果いろんな人の心と体がレイヤーケーキみたいな寄せ集めになっちゃった、というオチ。

鼎談では、臓器移植も未来の話であった時代の創作でレムの先見性が伺われるという発言もありましたが、調べてみると世界では1954年に腎臓移植、1963年に肝移植、1967年に心臓移植が実施されていて、1900年代初頭から移植手術の検討とか怪しい実験はされていたようです。年表的にみると、最初の一報でレムは想像をボワンと膨らませて脚本を書き、世間的に移植手術が知られるようになり始めたところでドラマ映画化というのが実態な気がしますね。

巽さんと沼野さんの仰っていた「スラップスティック的」な表現が『泰平ヨンの未来学会議』の映画(コングレス未来学会議)と通ずるところがあるというのは納得。予算と技術的な問題でしょうけど、今回の『寄せ集め』でもレースカーの事故の場面はマンガで表現されていて、コングレス未来学会議でカートゥーンアニメと実写が混在していたことと繋がる気がします。

沼野さんはミハイル・ブルガーコフの『犬の心臓』との共通点も指摘していました。犬に人の脳下垂体と睾丸を移植する話のようです。こちらは1924年に発表されていて、これは1900年〜1910年の間に犬、猫の同種移植、羊と豚からヒトへの異種移植手術実験がされている前提があるかと思います。

まあそうは言ってもレムの先見性というのは疑問の余地はないですけどね。円城さんが「GFPなんかも予言している」と仰ってましたが蛍光タンパク質の事でしょうかね、バクテリアに言葉を教える話(『エルンティク』かな?)と絡めていたような気もしますが、その関係性はちょっとわからなかったな。

▼レムの文章

沼野さんが円城さんに振った「レムのSF的、文学的印象」という話は興味深かったです。円城さん曰く、「大体のことは レムが書いている」「思考が突き抜けているので、ディティールにはこだわらない」「プロジェクトリーダー的な人物で、こういう技術があるんだから最終的にはこうなるでしょ、あとはやっておいて」的なものの言い方をしているとのことでした。『虚数』や『完全な真空』もそういうことなんだろうなという気がする。ざっくりアイデアを提示すればあとは分かるよね、っていう。

円城さんの方から沼野さんに質問もあり、「レムの原文はどういった雰囲気ですか」という趣旨のもの。「簡単ではないですよ。知的な文章というか、専門用語も多いし造語まである。ユーモアも織り交ぜるので翻訳は難しい。重訳では限界がある」(沼野氏)。沼野さんへの質問の流れで面白かったのが「レムはポーランドでは広く人気の作家で一家に一冊レムがあるというのは本当ですか、日本で言えば一家に一冊円城塔みたいなことですよね」(巽氏)という質問。これは自分もどこかで聞いたことあるんだけど、沼野さんによるとやはり誇張があるのではとの答え。そりゃそうですよね。

▼レムと周辺

円城さんが「レムの系譜がわからない。文学的にも、科学テーマの扱い方についてもこれと言った類型がない」ということを仰っていた中で、巽さんは「レムはメルヴィルが好き(影響を受けている?)と言っている」という情報。意外なような気もしますが、『白鯨』では「鯨学」というのがあって事細かに実際のクジラについての学術的講義が展開される。これはまさに『ソラリス』において「ソラリス学」が展開される流れと同じじゃないか、「だから長くなっちゃうのか」(円城氏)なんて話もありました。

あとは、円城さんが何か繋がりがないかということで思い当たるところでは「ルヴフ学派」という数学者の一派があるとのこと。さすが専門分野という感じの指摘。ざっくりとしかわかりませんでしたが、ちょっと変わった変態的な数学理論を構築していた集団で、地域的、時代的偏差があったのかも?ということでした。

レムの好み、という話からアメリカSFとレムという視点で、1973年の「レム事件」が話題にのぼりました。一旦はアメリカSF作家協会の名誉会員になりかけたが、そのタイミングでレムはアメリカSFをクソミソに批判したせいで立ち消えになり、特にフィリップ・K・ディックは激怒。しかし実はレムはディックの『ユービック』のポーランド語解説をしており、アメリカSFの中でディックだけは評価できるなどと発言していることが分かるとディックは手のひらを返して「昔からレムが会員になることは反対していない。怒っていたのはポール・アンダーソンだ」と会長に責任をなすりつけたらしい。笑える話。

レムとはなんぞやという一連の話の延長で、「スペキュレイティブ」ではないかという話に。「科学技術が発展するその先の世界をストレートに敷衍して想像した結果生じるおかしみ」(円城氏)を書いているとの評。

▼質疑応答

最後に質疑応答があり、「パネリスト3名のそれぞれ一番好きなレム作品は」という質問に、沼野さんが『ソラリス』、円城さんが『GOLEM XIV』、巽さんが『挑発』をあげていました。(ちなみに質問者はNHKEテレの方でした)

次に「今回上映した『寄せ集め』のように科学技術の発展に伴って倫理の問題が出てくる。レムの倫理についての捉え方は」という質問。「レムはあまり倫理という感じではない、不謹慎でもある。それよりも技術が発展していくと(倫理を含め)なぜかおかしなことになる。そういうことに面白さを感じる人なのでは」(円城氏)に対し、沼野さんからは「彼自身ユダヤ系でホロコーストの現場に立ち会った人。そういうことに大きな問題意識を持っていたということはあるのではないか」とのコメントもありました。

 

映画が30分超で、自己紹介やら何やら差し引いてトークは正味1時間くらいだったので、そこまで深入りした感じはなかったですかね。まあ予約制とは言え無料のイベントなのでこんな感じでしょうか。椅子も1/3くらいの人は補助の丸椅子で尻も大分ダメージを受けていたことですし、十分興味深い内容だったかなと思います。

どうやらEテレの100分de名著でSFを取り上げるのは初らしいですけど、これまでも荘子とか老子レヴィ=ストロースとかやってるみたいだし全然OKじゃないのって感じしますけどね。もっと一般層にSFってスペースオペラとか異星人侵略モノだけじゃないのよ、ってのが伝わるとよいですね。

京都に半日

1.いい宿

最近よく見かける外国人をターゲットにしたホステルやゲストハウスに近い宿に泊まってみた。部屋は共有ではないので、普通のビジネスホテルとの中間くらいの宿。

中に入るとエントランスがそのままラウンジになっており、中央のキッチンを囲むようにソファやテーブルが配置されている。

予約したプランは輸入ビール1本とおつまみ付き。サリトスというテキーラフレーバーのビールを選ぶ。夕飯は食べてきたので、ラタトゥイユとポテトチップスを少し取った。

キッチンの反対側のカウンターに席を取り、ビールをグラスに注いで本を読む。

フロアには他に若いカップル、40代くらいのサラリーマン、アジア系の観光客、20代前半の女性2人組、着物を着た坊主頭の中年男など様々。端的に言ってごちゃっとした客層である。値段の安さを求めてきた人と洗練された施設を求めてきた人が同居する空間。ある意味味わい深い。

背後のスクリーンには京都市内にある系列ホテルのラウンジが映し出されており、ピアニストがジャズの生演奏をしていた。

 

部屋は木目調の化粧板を使った家具やモルタルの二段ベッドなど、二流っちゃ二流の洒落た宿なのだが、なかなかどうして使いやすい。

気になる点は、部屋が酸っぱい臭いがすること。前の人の汗臭さと言われればそんな気もするし、化粧板や木製家具の接着剤臭と言われたらそうかもしれないと思う臭い。

トイレと風呂は共同だけど、共同って言葉の響きとは違って、普通の商業施設のきれいなトイレと洗練されたデザインのシャワールーム。ビジネスホテルのカビ臭いバスルームより圧倒的に良い。大浴場(小)もある。

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なお、一見ベッドが狭く見えるが、実際に狭い。身長174cmの人間は大の字になって寝た。

 

2.読む本

ラウンジで読み始めたのは『安徳天皇漂海記』だ。イロモノ小説かと思いきや、わりと濃密な中世文学の知識を要求してくるイロモノ小説である。和歌や文献の説明は最小限で、古事記平家物語吾妻鏡伊勢物語方丈記などの古典の数々と、和歌・琵琶語りが鮮やかに織り込まれた物語。中盤まで読み進めたが、感情の状態としては「寂寞」というところである。

安徳天皇漂海記 (中公文庫)

安徳天皇漂海記 (中公文庫)

 

 

3.映画

この日はホテルにチェックインしてラウンジで1杯飲んだら映画を見に行く予定だ。

旅先で映画を見ることの良さを体験したのは、名古屋の伏見ミリオン座で見た大島優子主演の『ロマンス』である。

ロマンス

ロマンス

 

特別ヒットしてないし、大島優子も100点ではない演技だったし、途中再現VTRみたいだったけど大倉孝二が妙にいい味を出しすぎていてなぜか憎めない謎ポジションの映画。

しかし映画の舞台の箱根と、この映画を見た名古屋が共に自分の中で「枯れた旅先」というくくりになっていたために先方の目論見以上に旅情を煽られた結果、非常に心に残る映画になってしまった。

こういうことがあると旅先で映画を見る意味というものがいや増してくる。

さて、予想以上に寛げるラウンジでビールの次は無料のコーヒーを自分で豆から挽いてドリップする。これまた読書にぴったりの環境ではないか。

 

こうして僕は映画を見に行くのを忘れたのだ。*1

 

 

4.京都の中華

目的は第一に好きな寺の庭を眺めること。

第二に少しだけ残ったフィルムカメラのフィルムを使い切ること。

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光明院

朝8時半に寺に入り、志納の300円を納めたあと縁側で胡坐をかいてぼーっとする。

するとどうだろう、蚊が寄ってくるのだ。

一番端の水路の傍にいたので、次の間の畳の方に避難する。静かな時間が訪れる。

かと思いきやまた蚊が来る。逃げる。座る。蚊が来る。逃げる。座る。刺されている。

蚊遣りでも焚いて欲しいが殺生はいかんのだろうか。

 

そのあといくつか書店を巡るがジャストで趣味に合う店はなかった。家の近所に過去最高に趣味の合う店を見つけてしまっているので、まあそれ以上の店に出会うことはめったなことではないだろう。

 

途中、空也上人立像を見に六波羅蜜寺に立ち寄った。口から仏様のあの空也である。

華奢だ。鎖骨が出ている。そして薄い唇。繊細。

意外とそのほかの像もよい。藤原時代の地蔵菩薩は一般的な地蔵イメージよりも遥かに美しい仏像だった。弘法大師空海)はガタイがよく、湛慶は鉢がでかくて俳優の伊武雅刀に似ている。運慶はあたまが尖ってるのが特徴的で目尻にシワがあり頰が出ている。清盛は荒さよりも達観した雰囲気を醸し出している。などなど、それぞれのキャラ立ちがすごい。

 

さて、京都の中華はいつ出てくるんだという話である。

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平安神宮近くの七福家という中華料理屋の黒酢酢豚。

以前この本を涎を垂らしながら読み、京都と中華が強く結びついてしまっている。なんでも京都の中華は具が細かくにんにくを使わない傾向があるとのこと。日本の中で独自の中華料理圏を形成しているという面白い話だった。

京都の中華 (幻冬舎文庫)

京都の中華 (幻冬舎文庫)

 

七福家はどちらかというと一般的な大衆中華食堂でストイックな京風中華ではないと思うけど、濃厚だけどシンプルな香りで後味がさっぱりしている点は京都人の好みじゃないかな。近くにあったら通いたいですねえ。

 

というわけで、一晩泊まってからの半日旅。

なおこの日の夜は銀座でうまい焼肉を食べるという食い道楽な1日でございました。

 

*1:見たかったのはジム・ジャームッシュの『パターソン』

紙ブックカバー選手権

本を買ったときに紙のブックカバーかける文化って日本だけみたいですね。

もとは大正時代に古書店がはじめたとか。書皮ともいう。

紙のカバー、好きですね。本のサイズにぴったり合うし、よりフィットさせたければハサミを入れてテープで貼ると完璧。一度そこまでやってくれる本屋があってなるほどと感心しました。

で、結構Amazonで本買うことも多いので、店舗で貰ったブックカバーは取っておいてます。そんで近いサイズのカバーを選んでかけてるんですが、ブックカバーって書店によってデザインも質感も違ってて、自分の中で気に入ってるやつとそうでもないやつがあるんですよねー。

というわけで、いま家にある在庫の中でブックカバー選手権を行いたいと思います。出場選手はこちら。

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うん、なんか偏ってますね。パッと思い付くだけで三省堂紀伊国屋丸善啓文堂有隣堂、リブロなんかもない。

 

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①蔦屋書店

TSUTAYAではなく蔦屋書店の方ですね。最近こっちVerの店舗増えましたね。

のっけからなんですが、優勝候補。かなりハリのある紙で手汗にも比較的強い。デザインも良くて使用頻度が高いカバーです。さすが、儲かってはりそうですからね。

欠点としては、手汗でふやけはしないですが白いので黄ばみヨゴレが目立ちます。

デザイン:★★★★★

耐手汗:★★★★

耐汚れ:★★

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ブックファースト

ちょっと野暮ったいですよね。店舗のクリーンなイメージからするともうちょっとデザイン頑張ってもいいのでは。紙質としては薄くてやわいわりには丈夫な印象があります。使い勝手はいい。

デザイン:★

耐手汗:★★★

耐汚れ:★★★

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くまざわ書店

先の2つとは異なりザラザラ系の紙質です。これはですね、ふやけます。ふやけますが、なんかもったいなくない感じがある。昔からのザ・紙ブックカバーという感じで気軽に使えますね。乾燥したパリパリという感触も風情があってよいです。デザインとしては、個人的にはこういう古風なタイプもアリ。

デザイン:★★

耐手汗:★★

耐汚れ:★★

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④ときわ書房

すみません、地元書店です。千葉県の。サラサラとした紙で薄いですがハリはあります。なんとなくシャキっとした感じに折り目も付くのでいい感じです。ただし、朱色の印刷が折れ目のところに来るので、ふやけて毛羽立つと目立ちますね。

デザイン:★★★

耐手汗:★

耐汚れ:★★

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八重洲ブックセンター

個性がすごい。あとよーく見ると背景画像のつなぎ方がダサいんですが、ここまで振り切れてるとありなんじゃないかなって気がしますね。結構つるっとした紙質。触り心地は案外良いです。

デザイン:★★★

耐手汗:★★★

耐汚れ:★★★★

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ジュンク堂

これは正直なところドンケツですね。デザインもパッとしないし、印刷の品質も疑問。紙質も一見丈夫そうなんだけど、なんか汚れを拾ってくるんですよねー。ジュンク堂なんだから、こういうところにも目を配って欲しいですね。

デザイン:★

耐手汗:★★

耐汚れ:★

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MARUZENジュンク堂

さすが丸善さん、ナイスフォローです。文具を扱っていることもあってかこだわりが感じられますね。紙で勝負。控えめだけど気の利いた印刷。手汗に強いというほどではないんですが、必要十分な性能でツルツルすぎずザラザラ過ぎない心地よい手触りを意識していると思います。

デザイン:★★★★

耐手汗:★★★★

耐汚れ:★★★

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東京堂書店

神保町にある書店です。ほかにも数店舗できたようです。なかなかの雰囲気を醸し出しているお店なんですが、ブックカバーも洒落てます。テカり&なめらかな独特の紙質。ですが、濃色のため折れ目やキズなどがだんだんと白く毛羽立ちかなり目立ちます。あまり再利用できないかもしれませんね。

デザイン:★★★★★

耐手汗:★

耐汚れ:★★★

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⑨ブックスルーエ

最後は吉祥寺の書店。キンシオタニさんの個性的な絵が全面に印刷されています。紙質はかなりゴリゴリでザラザラのクラフト紙。毛羽立ちますし印刷も手汗でかすれるのですが、なんというかここまでオリジナリティを押し出していくっていうのがブックカバーの可能性を期待させてくれる一品かなと思います。書下ろしってもっと流行ってもおかしくないですよね。

デザイン:★★★★★

耐手汗:★

耐汚れ:★

 

以上、9つの書店のブックカバーを比較しましたが、栄えある第1位は・・・

MARUZENジュンク堂 にします!

ポイントとしては、「ちょうどいい感じ」ですかね。飾らないけどこだわってる。

候補にはないですけど、丸善のブックカバーも新しいやつ良い感じですよね。でももっと大胆な感じでやっぱり⑦がいいなあ。古い丸善のカバーはいびつな日本地図のやつですけど、あれはかなり汚れるイメージありましたね。時代が感じられるデザインではあったけど、新しい方が好きかな。

候補外でいうとリブロも意外と好きですね。繰り返しパターンが包装紙っぽさがあってなんとなく雰囲気がある。かっこいいので言うとbook expressもいいと思います。

以上、紙ブックカバー選手権、閉会します。お疲れさまでした。