LEM

スタニスワフ・レムを巡ってというパネルディスカッション形式のイベントに行ってきた。基本的には年配の方の方が多かったけど、まあ文学書籍のトークイベントなんて基本そうだろうし、テーマがレムなら尚更でしょうね。むしろ思ってたよりは若い人が何人かいたかな。一部は出版社とかメディア系の人かもしれないけれど。

レムに関するここ最近の話題として、国書刊行会のレム・コレクションが完結したこと、12月にEテレの100分de名著の題材としてソラリスが取り上げられることなどがある。

パネリストはレムの翻訳のほとんどを担当している沼野充義さん、アメリカ文学研究者でSF評論家の巽孝之さん、作家の円城塔さんの3名・・・そして沼野さんのTシャツにプリントされたスタニスワフ・レムさんの4名でした。残念ながらレムさんは一言も発しませんでしたね。

 

▼短編映画上映

まず映画の上映がありました。

原題"Przekladaniec" 邦題は『寄せ集め』。なんとアンジェイ・ワイダ監督。

1955年にラジオドラマ用の脚本として書かれ、1968年に本作がポーランドで放送。

レムが書いた脚本のタイトルは『Mr.ジョーンズ、きみは存在しているのか』で、英語圏では"Layer Cake"と言うタイトルだそうです。

レイヤーケーキというのはロシア・東欧あたりのケーキで、何層かにスポンジとクリームを重ねて作るケーキのようです。検索してみると結構普通のケーキっぽい感じ。

移植手術をネタにした半分コメディのような話で、何度も事故を起こして移植手術を受け続けた結果いろんな人の心と体がレイヤーケーキみたいな寄せ集めになっちゃった、というオチ。

鼎談では、臓器移植も未来の話であった時代の創作でレムの先見性が伺われるという発言もありましたが、調べてみると世界では1954年に腎臓移植、1963年に肝移植、1967年に心臓移植が実施されていて、1900年代初頭から移植手術の検討とか怪しい実験はされていたようです。年表的にみると、最初の一報でレムは想像をボワンと膨らませて脚本を書き、世間的に移植手術が知られるようになり始めたところでドラマ映画化というのが実態な気がしますね。

巽さんと沼野さんの仰っていた「スラップスティック的」な表現が『泰平ヨンの未来学会議』の映画(コングレス未来学会議)と通ずるところがあるというのは納得。予算と技術的な問題でしょうけど、今回の『寄せ集め』でもレースカーの事故の場面はマンガで表現されていて、コングレス未来学会議でカートゥーンアニメと実写が混在していたことと繋がる気がします。

沼野さんはミハイル・ブルガーコフの『犬の心臓』との共通点も指摘していました。犬に人の脳下垂体と睾丸を移植する話のようです。こちらは1924年に発表されていて、これは1900年〜1910年の間に犬、猫の同種移植、羊と豚からヒトへの異種移植手術実験がされている前提があるかと思います。

まあそうは言ってもレムの先見性というのは疑問の余地はないですけどね。円城さんが「GFPなんかも予言している」と仰ってましたが蛍光タンパク質の事でしょうかね、バクテリアに言葉を教える話(『エルンティク』かな?)と絡めていたような気もしますが、その関係性はちょっとわからなかったな。

▼レムの文章

沼野さんが円城さんに振った「レムのSF的、文学的印象」という話は興味深かったです。円城さん曰く、「大体のことは レムが書いている」「思考が突き抜けているので、ディティールにはこだわらない」「プロジェクトリーダー的な人物で、こういう技術があるんだから最終的にはこうなるでしょ、あとはやっておいて」的なものの言い方をしているとのことでした。『虚数』や『完全な真空』もそういうことなんだろうなという気がする。ざっくりアイデアを提示すればあとは分かるよね、っていう。

円城さんの方から沼野さんに質問もあり、「レムの原文はどういった雰囲気ですか」という趣旨のもの。「簡単ではないですよ。知的な文章というか、専門用語も多いし造語まである。ユーモアも織り交ぜるので翻訳は難しい。重訳では限界がある」(沼野氏)。沼野さんへの質問の流れで面白かったのが「レムはポーランドでは広く人気の作家で一家に一冊レムがあるというのは本当ですか、日本で言えば一家に一冊円城塔みたいなことですよね」(巽氏)という質問。これは自分もどこかで聞いたことあるんだけど、沼野さんによるとやはり誇張があるのではとの答え。そりゃそうですよね。

▼レムと周辺

円城さんが「レムの系譜がわからない。文学的にも、科学テーマの扱い方についてもこれと言った類型がない」ということを仰っていた中で、巽さんは「レムはメルヴィルが好き(影響を受けている?)と言っている」という情報。意外なような気もしますが、『白鯨』では「鯨学」というのがあって事細かに実際のクジラについての学術的講義が展開される。これはまさに『ソラリス』において「ソラリス学」が展開される流れと同じじゃないか、「だから長くなっちゃうのか」(円城氏)なんて話もありました。

あとは、円城さんが何か繋がりがないかということで思い当たるところでは「ルヴフ学派」という数学者の一派があるとのこと。さすが専門分野という感じの指摘。ざっくりとしかわかりませんでしたが、ちょっと変わった変態的な数学理論を構築していた集団で、地域的、時代的偏差があったのかも?ということでした。

レムの好み、という話からアメリカSFとレムという視点で、1973年の「レム事件」が話題にのぼりました。一旦はアメリカSF作家協会の名誉会員になりかけたが、そのタイミングでレムはアメリカSFをクソミソに批判したせいで立ち消えになり、特にフィリップ・K・ディックは激怒。しかし実はレムはディックの『ユービック』のポーランド語解説をしており、アメリカSFの中でディックだけは評価できるなどと発言していることが分かるとディックは手のひらを返して「昔からレムが会員になることは反対していない。怒っていたのはポール・アンダーソンだ」と会長に責任をなすりつけたらしい。笑える話。

レムとはなんぞやという一連の話の延長で、「スペキュレイティブ」ではないかという話に。「科学技術が発展するその先の世界をストレートに敷衍して想像した結果生じるおかしみ」(円城氏)を書いているとの評。

▼質疑応答

最後に質疑応答があり、「パネリスト3名のそれぞれ一番好きなレム作品は」という質問に、沼野さんが『ソラリス』、円城さんが『GOLEM XIV』、巽さんが『挑発』をあげていました。(ちなみに質問者はNHKEテレの方でした)

次に「今回上映した『寄せ集め』のように科学技術の発展に伴って倫理の問題が出てくる。レムの倫理についての捉え方は」という質問。「レムはあまり倫理という感じではない、不謹慎でもある。それよりも技術が発展していくと(倫理を含め)なぜかおかしなことになる。そういうことに面白さを感じる人なのでは」(円城氏)に対し、沼野さんからは「彼自身ユダヤ系でホロコーストの現場に立ち会った人。そういうことに大きな問題意識を持っていたということはあるのではないか」とのコメントもありました。

 

映画が30分超で、自己紹介やら何やら差し引いてトークは正味1時間くらいだったので、そこまで深入りした感じはなかったですかね。まあ予約制とは言え無料のイベントなのでこんな感じでしょうか。椅子も1/3くらいの人は補助の丸椅子で尻も大分ダメージを受けていたことですし、十分興味深い内容だったかなと思います。

どうやらEテレの100分de名著でSFを取り上げるのは初らしいですけど、これまでも荘子とか老子レヴィ=ストロースとかやってるみたいだし全然OKじゃないのって感じしますけどね。もっと一般層にSFってスペースオペラとか異星人侵略モノだけじゃないのよ、ってのが伝わるとよいですね。