殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか:読書メモ2
前回の進化編がかなりの分量になりまして、ここからは詳細部分についてちょこちょこ書いていきます。
4.誤解しているかも
p.79 暴力について
それでも暴力は、進化のほぼあらゆる過程に比べて、現代ではずっと稀になってきた。前出のサミュエル・ボウルズの試算では、標準的な狩猟採集民の場合、暴力が原因で死ぬ確率は14%だった。それに比べると今日の世界における死因に占める割合はとても小さい。暴力が原因の死は、全死因のおよそ1.3%-ボウルズの試算の十分の一以下だ。これには戦争、都市における暴力などすべてが含まれるが、驚いたことにそれでも自殺による死亡率よりも低い。交通事故による死亡率の半分を少し超えているにすぎない。
これは普段の認識からすると、驚く内容だと思う。この本の邦題はこの部分ですね。つい先日まで我々はかなりの殺人傾向を持っており、遺伝子的にその時点からほとんど進化していないという事です。昔の人々は決してお気楽な生活をしていたわけではないと。
では中世はどうだったのか、別の視点から捉えたものがこちら。引用の引用でいいのかよくわからないけど。
p.212 都市の悪臭
これから物語る時代には、町はどこも、現代の私たちにはおよそ想像もつかないほどの悪臭にみちていた。通りはゴミだらけ、中庭には小便の臭いがした。階段部屋は木が腐りかけ、鼠の糞がうず高くつもっていた。台所では腐った野菜と羊の油の臭いがした。風通しの悪い部屋は埃っぽく、カビくさかった。寝室のシーツは汗にまみれ、ベッドはしめっていた。室内便器から鼻を刺す甘ずっぱい臭いが立ち上っていた。暖炉は硫黄の臭いがした。皮なめし場から強烈な灰汁の臭いが漂ってきた。屠殺場一帯には血の臭いがたちこめていた。人々は汗と不潔な衣服に包まれ、口をあけると口臭がにおい立ち、ゲップとともに玉ねぎの匂いがこみあげてきた。(以下略)
以上が十八世紀のパリを表現した現代作家パトリック・ジュースキントの文章。読むだけで胸くそ悪い。
こうまでおぞましく書くかというところだけど、実際十分な上下水道も衛生観念も発達していなかった時代はこうだったんだね。平安京の疫病も江戸の結核やコレラも薬のあるなしだけじゃなくて、生活環境そのものに由来しているんだな。
・・・というような感じで、現代というのはなかなか進歩しているんだなあという話なんです。最近はまったく、という語り口で凶悪事件が増えたりモラルが低下したりというイメージもあるけど、実はものすごく改善してます。進歩しているにもかかわらずあまりその事を実感出来ていないことは非常に勿体ないし、どこまで行ってもそうであるならば悲しいですね。ただ、そんな人間の性がこの生活環境の大幅な改善を促してきたと考えると、満足してしまえばあとは退行するだけという辛い現実も見えてくる。僕個人としては、ほかの多く人が一向に満足しないまま改善を続けていき、僕だけ満足感を得つつ生きていくというフリーライダーでありたい欲があるのですがそうはいってもいつ不幸が自分に訪れるかわからないからな~。
p.110 返報性
返報性が協力と交易の確立に役立つのはまちがいない。これは一つには親切に親切で返す傾向のおかげだし、また不親切には報復する傾向によって人々が約束を守るようになるせいでもある。
この本の柱となる主張のひとつが、返報性。上記の通り、親切には親切で、不親切には不親切で返そうという性向が人間に備わっており、この性質は「親切が後で利益となって返ってくる」というような打算とは無関係に現れるものだとしている。この中で、不親切には報復する、という一見物騒な性質が果たす役割について、道徳的立場からつい否定してしまいそうだけど確かに重要な機能が示されている。
p.86 報復の必要性
強力な返報者(協力的な行為に同じような行為で応えるだけでなく、たとえ多少の犠牲を払っても他人の非協力的行為は罰しようとする人)の存在が、協力的傾向の確立に欠かせないようだと示唆されている。協力の動機が他人による過去の親切だけで、不正行為に対する制約がない場合には、当初は協力的な集団文化であっても、だんだん個人が誘惑に屈してそれが崩壊することがある。しかし不当なあつかいを受けた人々が復讐し、それが個人的に負担となっても気にしないとわかっている場合には、実験では不正の発生率が極端に減少する。
ダークナイトで見ましたねこれ。この例では別にそれが正義のヒーローである必要はなく、やったらやり返されるという積極的に認めたいものではない性質が人々の協力に役立っているという事実です。
ただし、本書の中でこういった強力な返報者は少数で十分な効果があると説明されています。おお、なんだか都合がいいけど救われる部分だね。
p.335 国別自殺率について
- 世界全体で年間約100万人が自殺
- ラテンアメリカの国々はアメリカやカナダよりも低い
- 南ヨーロッパのラテン諸国(イタリア、スペイン、ポルトガル)もオーストリアやドイツ、スイスに比べて低い
- 男性の方が女性の4倍も自殺している
- 自殺を試みるのは女性の方が多い
- オランダ男性の自殺率はベルギー男性の40%しかない
- ノルウェー、スウェーデン、デンマークの自殺率は(意外にも)ほぼ標準
- フィンランドの男性自殺率はその倍近くある
- アメリカにおける黒人の自殺率は白人の半分以下
- 東ヨーロッパと旧ソ連諸国は伝染病並みに高い
日本が載ってなかったので見ると・・・おお、東欧に迫る勢い。詳細が気になる方はこちらをご参考下さい。国の自殺率順リスト - Wikipedia
ここまでピックアップした中で、暴力の減少が社会的に認識されていないどころか暴力の危険がより注目されるようになった事、過去に比べ生活環境が継続的に改善しているという実感が薄い事、経済的困窮のある国に加えて生活水準の高い先進国において自殺率が高い事、という現状を考えると、何がこの環境改善をドライブしてきたのかなという風に思いました。
それはやはり、現状に満足しないという事ではないかなと。暴力が減っても満足できない、いくら環境が良くなっても満足できない、満足できないから自殺する。
社会全体が等しく貧しい国やラテン系の言ってしまえば楽天的な気質の国ではある程度の満足か諦めがありそう。一方でその分社会が荒れていたり、暴力で死ぬ確率も高いのかもしれない。どちらが良いのかと言われても簡単に選べるものではないね。願わくば安全を求める国で自分と身の回りの人々だけは健やかに暮らしたいところだけど。
5.本について
p.211 ボルヘス
ホルヘ・ルイス・ボルヘスは『アルゼンチンの作家と伝統』というエッセイのなかで、エドワード・ギボンを次のような趣旨で引用している。「ずばぬけて優れたアラブの書物、コーランには、ラクダが登場しない。もしもコーランの信憑性について疑いがあったとしても、このラクダが登場しないということだけで、これがアラブのものだということを証明するのに十分だと信じる。それはモハメッドによって書かれたもので、モハメッドはアラブ人として、ラクダがアラブ特有の生き物だと知るはずなどない。ラクダは彼にとって現実の一部であって、偽造者、あるいは旅行者やアラブの国粋主義者なら真っ先にすることがラクダを持ち出すことであっても、彼にはことさらそれを特筆する必要などないのだ」。
実際はコーランにラクダよく出てくるらしい。しかし知の巨人たるボルヘスがそんなベタなことするかな?と思ったら、ちゃんと注釈があった。
p.xxiii 原注
13.Borges 1951,p.423. 私はギボンのオリジナルを見つけられなかったし、Borgesの奇をてらう傾向は知っているので、今後も見つかるかどうかは怪しい。
わはは。つまり、ボルヘスは必要があって上記の主張を記述する際に、本当か嘘かわからないけどギボンの記述だとして引用したと。実際にギボンが言ったにしろ言ってないにしろ、ボルヘスは当然コーランも読んでるわけだからラクダが出てくることを知りつつの堂々っぷりということですね。
それをわざわざ再引用して注を付けるこの本の著者もたいがいだし、その注の書き方もしらじらしい(笑)
著者は結構文学の類も幅広く読んでるっぽいですね。レイモンド・チャンドラーとかシェイクスピアなんかが度々出てくる。文学じゃないけどP.206で引用されている本が注8でみんな読むべきって紹介されてました。邦訳版は絶版じゃないか。中古か図書館でどうぞ。
Amazon.co.jp: バルセロナ―ある地中海都市の歴史: ロバート ヒューズ, Robert Hughes, 田沢 耕: 本
6.地名について
結構地名とか場所の名前が出てくるのですが、全然知らないのとかそういやどの辺だろというのがあった。
- コルカタ・・・インドでデリー、ムンバイに次ぐ第三の都市圏人口。ああ、カルカッタね!カルカッタは英語読みなんだ。コルカタ - Wikipedia
- マラケシュ・・・モロッコ第三の都市。また第三か。ざっくり言うとアフリカ大陸北西部。マラケシュ - Wikipedia
- ジャカルタ・・・インドネシアの首都。というのはわかるのだけど、インドネシアぱらぱらしてるから場所のイメージが、ああ、ボルネオ島じゃなくて、太い方じゃなくて、細長い方の西端って感じですね。どうなんでしょう、あんなに島だらけで統一的な国民意識とかなさそうだよな、インドネシア。ジャカルタ - Wikipedia
- エリコ・・・パレスチナ西岸地区の市。海抜マイナス250mってすごいな。旧約聖書にも繰り返し現れるそうです。エリコ - Wikipedia
- チャタル・ヒュユク・・・トルコのコンヤ市にある遺跡。紀元前7500年前頃からとみられる。チャタル・ヒュユク - Wikipedia
- ティエラ・デル・フエゴ・・・南アメリカ大陸南端部の諸島。わ、すごい、そういえば南アメリカの南端の地図はじめてじっくり見たかも。こりゃすごいな。この記事から飛べる項目興味深いのが多いです。ティエラ・デル・フエゴ - Wikipedia
7.その他
p.157 銀行の提供するサービス
金融のプロが、他の金融のプロについて面倒な質問をするとは絶対に期待できない二つ目の単純な理由とは、まさに面倒な質問をしなくてすむことこそ、銀行制度そのものが金融のプロを含む顧客に対して提供しているサービスだということだ。
サブプライム問題による金融危機の説明の中で出た部分。つまり危険な住宅ローンを含むストラクチャード金融商品を売る銀行を皆が信じた原因。なるほど~そういやそうだ、と思うと同時に、えっ、どうするのそれじゃあ。という虚を突かれるような指摘。そんなあ~、あんまりじゃないか。
後は箇条書きで。ほんと余談だから。
- ラングール・・・ハヌマンラングールというオナガザル科の猿。インドからネパールあたりに生息。見たことあるなこいつ。ハヌマンラングール - Wikipedia
- アンテロープ・・・これはね、ガゼル的なやつだよ。ん?レイヨウ?、、、あ、ちょっとね、このあたりの分類については相当ややこしいことになってるっぽい。詳しくはWikipediaでどうぞ。特にカモシカ云々についてなど混迷を極めてる。いうなればニャーン<ひよこ!>の図である。レイヨウ - Wikipedia
- P.115 ロシアの物々交換・・・共産主義国崩壊後のインフレの実態について、この物々交換社会は知らなかった。びっくりしちゃうよこれ。ほ~!となることうけあいです。
- スタンダード&プアーズ・・・名前の由来が気になりまして。格付け会社としてピッタリすぎるというか直接的過ぎやしないかと。すると、スタンダード・スタティステック・カンパニー社とプアーズ出版が合併しただけらしい!都合がいいな。ちなみに同じく格付け会社のムーディーズも市場のムードを繁栄してくれそうな社名も、ムーディーさんの会社だということです。ほんまかいな。
- ミッドタウン・・・ずっと勘違いしてたんだけど、ミッドタウンはマンハッタンの地域名なんだね。アップタウンとかダウンタウンみたいなものかと思ってた。実際マンハッタンではこの3つで地域が分けられるみたいだし。ちなみに、アップタウンは「山の手」で住宅街。ダウンタウンは繁華街もしくはオフィス街との事。なんかダウンタウンは猥雑なイメージがあったんだけど、オフィス街もダウンタウンなんだね。
- SOHO・・・香港でもあったし、NYにもロンドンにもある。なんぞや。調べると、ロンドンが最初かな。狩りの掛け声であったSOHOが由来だそうです。これを意識して名づけたのがNYのSOHO。South of Houston Streetだとさ。そして香港はSouth of Hollywood road。Hollywood roadって場所の名前が既にアメリカだ。どの街も少しずつ毛色は違うけど歓楽街というのは共通していて、通じるところがあるんでしょうね。
以上!過去最高ではないかという文字の多い記事でしたが、おかげさまでかなり充実した読書となりました。こういう学問的な本だとメモを取っていろいろ調べてみるのも面白いっすね。せっかく買った高い本だし気合入れて読めてよかった。