ベネチア
ヴェネツィア、ヴェネチア、ベネツィア、ベネチア、ヴェニス、ベニス…
ヴェとツィは脳内で発音しにくいのでベネチアにします。
空港からは水上バスで移動しました。本島まで1時間くらい。
船のガソリンスタンド。
初日の夕食はリモンチェッロに伝票を挟んでくる粋な店。
レモンピールの甘いリキュール。約30度。
飛行機でネックピロー担ぎ続けたのが原因じゃないかと思うんだけど、ハチャメチャに痛かった肩がこれを1杯半グイっとあおって寝たら治りました。ラッキー。
ベネチアはかなり治安がいいと感じました。怪しい人ほとんどいない。
こんな暗い道もへいちゃら。
ベネチアっぽい写真なんか照れるので焦らします。
翌日は足を延ばしてブラーノ島へ。これまた水上バスで本島から1時間。
レース編み産業の島で、家々がカラフルなことでも有名。
1軒1軒が絵になるんだこれが。玄関と窓のようわからん布もおしゃれ。
センスがない人はどうやって生きていくんだろう。幼少時から叩き込まれるのだろうか。同調圧力つらくないだろうか(すごすぎて邪推)。
ブラーノ島では比較的地味な方の風景。
お次はムラーノ島へ。
ブラーノ島から30分くらいですかね。本島との中間地点。大きい島です。
ベネチアングラスで有名な島ですが、本島より観光客少なくてのんびりできてよかった。お昼ここで食べてもよかったですね。おいしそうなトラットリアも見かけた。
かなり暑かったのでジェラートでひとやすみ。レモン。リモーネ。
ガラス買うつもりなかったんだけど、裏通りから攻めたところYalos Murano Glassという気の利いたお店があったのでショットグラスを買いました。
伝統工芸品感のある店か高級なオブジェを売る店が多い中、ここはカジュアルでスタイリッシュな感じでよかったです。でもガラスの透明度は低かったかな。そういう趣向?
しかしジャパニメーションはすごいですね。世界の子供たちをグッと掴んでおります。
PIKACHU
ピカチュウは少女に人気。写真の子の他にもぬいぐるみ抱いてる子を見かけた。
この子の弟はスマホでポケモンGOに夢中。この子のお姉ちゃんのスマホ壁紙はアイマス。アニメだけならまだしもアイドル文化まで理解するYOUは間違いなくFUJOSHI
ちなみにこの家族は船で見かけたんだけど、到着間際に現れたお父さんはティアドロップ型サングラスをかけたブルース・ウィリスばりのワイルド親父だったので衝撃でしたね。何人たりとも二次元は止められない。
まあドバイ空港でワンパンマンを見かけた時点でもうジャパニメーションの世界征服は完了したんだなって感じでしたけどね。
さて本島。
人生で一番うまいピザでした。耳が・・・はわわわわわわわわわ
Ai Garzoti って店ですけどもね。駅に近い方なので地元客が多い。目の前の橋にはこの店のワイングラス片手に席が空くのを待つ人たち。
チーズのコクがまた、日本でいうコクとも違ってダシじゃないんだよね。味の要素に分解できないまとまり感、まろやかさ。たまらんね。
オレンジ色のきれいなカクテルが大流行してます。アペロールというオレンジリキュールを使ったスプリッツ(白ワイン+炭酸)だそうです。カンパリほどじゃないけど、爽やかなハーブ感があってもう夏にぴったりすぎ。ビール、スプリッツ、ワインの選択肢で毎食悩みます。
ベネチアが観光地としてものすごく徹底しているのが景観。どこまで行ってもレンガ塀のあの風景なんだね。これはすごく大変なことで、お店の商品の搬入も全部運河から運んできて手で荷下ろしして、橋の階段を乗り越えてこなしてる。
例えば重機も陸上に設置することはなくて、いわば重機船と呼べる船が活躍する。
もひとつおすすめのトラットリアが Cantina Do Spade です。
こちらはリアルト橋からまっすぐ北西、つきあたりを左に曲がって2つ目の角を右に曲がるとあります。店内に飾ってある絵がヘタウマでよい。
ビビッと来たのはこのボンゴレ。2.0mmくらいありそうなスパゲティーニ。
見るからに家庭的な雰囲気の店で、内装はちょっと吉祥寺っぽい。比べるなって?でも僕の心のふるさとなので。通いたい店ですね。通えないけど。
イカしたあんちゃん
ところでイタリアといえばファッション。という人もいる。
日本人は基本的に普段着がおしゃれだという話だけど、靴は残念みたいに書かれてたりする。気がする。ということでイタリア人の靴をウォッチしまくってたんだけど、別にそんな大差があるわけじゃないというのが感想。
まあベネチアだから観光客ばっかりで、ヒールなんか歩きづら過ぎるから少ないけど。でも見かけるのは9割くらいスニーカーだし、地元民っぽい人はみんなサンダルだ。
あーやっと来たベネチア風景。路地だけど。
エビやイカの料理が多い。イカスミパスタもう1食くらい食べたかったな。
こういうアメリカでいうデリみたいな店も多い。1日5食食えたらなあ。
ベネチアで2番目に有名な橋がアカデミア橋だそうです。
7月のイタリアは日没が20時台で、21時頃までは明るいのです。
この景色、実は小学生か中学生の頃、通ってたアトリエで描いたことがある・・・
そのままブラブラと南に歩いていくと、素晴らしい景色が待っていました。
対岸の水際すれすれ一直線に並ぶ建物ひとつひとつに灯る明かり。
Fodamenta Zattere al Ponte Longo という通りです。
どうなんでしょう、有名なのかどうかわかりませんが、何とも言えない郷愁を誘う雰囲気です。有体に言って絶好のイチャコラスポットです。カップルで訪れたらこのあと滅茶苦茶捗ると思います。この辺に泊まったらいいんじゃないだろうか。何を言っているのか。
もう完全に映画だよ・・・
さて、旅の締めくくりはサンマルコ広場の鐘楼から。
ここ最後に行くのオススメします。この街を旅したんだなあと感慨もひとしお。
昼間は並んでるけど、朝はほとんど並びません。
ドゥカーレ宮殿とかも行ったんだけど、なんちゅーか建物や史跡よりも、ただ街を歩いて景色を眺めて飯を食って酒を飲むのがなにより楽しかった。旅して滞在している感じがとにかく心地いい。
最後に大切なことを書き記したいと思います。この旅を通じて本当に心の底から実感したことです。
それは金が欲しいなあ~~~ということです。
そして時間も欲しいなあ~~~とも思いました。おわり。
『メイスン&ディクスン』の膨大な目次
トマス・ピンチョン。アメリカの覆面小説家で、現代最高の作家との呼び声も高い謎の人物。その作品は長大で難解とされることが多く、挫折する人も多い。
野暮な話、「ピンチョン読んでます」と言いたいがためにトライするよね。
実際読んでみて、まあ頭に入ってこないというか、この作品に関しては訳文が時代掛かった古い言い回しが多くて読みづらい。亜米利加とか、費府(フィラデルフィア)とかカタカナ語を漢字で書く。なぜって、原文が18世紀の英語(風)で書かれているから。なぜこの長大な物語をあえて・・・!!
全体の構成としては、のちにアメリカの南部と北部を分けることになる線を引くことになるメイスンとディクスンの冒険譚、あるいは珍道中。この軌跡に立ち会ったチェリコーク牧師の回顧録という語りの形をとる。
下巻に突入したところでやっぱり上巻を見直そうと思って、読み返しながらメモを取っていきました。
で、読み返してみると2回目は割と読める。笑いどころも分かってくる。途中で出てくる「亜米利加道中膝栗毛」なるジョーク(原文はどうなってるんだ?)、まさにそのノリ。メイスンの憂鬱症とディクスンの軽さと余計な言動が可笑しくなってくる。小難しい翻訳文かと思ったら、案外悪乗りパートが多いぞと気付く。
そのメモをせっかくなのでブログに載せようと思います。あんまりこういう記事を見て参考にしながら読むことはないと思うけど、あれなんだったっけという検索に引っかかって思い出すきっかけになったりしたらいいですね。僕は早くすべての本の中身にCtrl+Fができる時代が来てほしいです。
形式としては、番号が振られている各章にタイトルをつけて、簡単なあらすじまたはキーワードを抜き出します。上下巻で78章。ざっくりした目次のようなものになる・・・つもりだったのですが、1万字オーバーになったので通して読むと20分くらいかかりますね。なんじゃこりゃ。
ちなみに、僕も全然ちゃんと読めてるわけじゃないのでミスリードというか誤読している部分は多々あるかと思います。実は Thomas Pynchon Wiki | Mason & Dixon という超優秀なピンチョンWikiがありまして、メイスン&ディクスンの章ごとの注釈が書かれているのですが、英語が読めない!ので十分役立てられず、大きく見劣りする自前のメモで我慢する次第です。
上下巻本編1,094ページ、少なめに見積もっても50万文字以上。前述のとおり上巻を読み直したり途中しばらく間が空いたりもして、かれこれ10カ月程かけて読み終えました。最後にはしんみりしちゃったなあ。人生初の大河的読書ですね。新聞なんかの連載小説を読むのってこんな感じかしら。
以下、[続きを読む]から膨大な目次スタートです。
続きを読む
ゴミ箱にかける袋を内側に隠すやつを自作する
めっちゃどうでもええねんけど。
ゴミ箱にスーパーの袋かけますよね。それがみっともないだのなんだので内側に隠せるゴミ箱とか最近出てるじゃないですか。上からカバー被せるタイプとか、中に一回り小さいゴミ箱入ってて穴の開いた蓋を置くタイプとか。
一応小型のゴミ箱ではそういうの使ってるんですけど、少し取り回しがしづらいというか、上の方持つとすっぽ抜けるし、袋の設置が若干面倒だし、口が狭くて丸めたティッシュ命中させづらいし、あと一番は値段が高いし。
ということで、フツーのゴミ箱でもなんか自作できそうだなという事でやってみた。
使用したゴミ箱はこれ。上の方に溝があるのでこれが使えそうだなと。
そして購入資材はこれ。東急ハンズで塩ビチューブとワイヤーを購入。
ワイヤーはこれはアルミ線かな、の塩ビ被覆のやつです。まあまあ柔らかいので。
太めのワイヤー意外と切れないペンチ多いからね。柔らかいけど直径2mmあります。
要は、これでわっかを作ってスーパーの袋かけようという事です。
ゴミ箱はφ225mmなので、これよりやや小さいわっかを作ります。溝の部分がφ210mmくらいとして、円周は約660mm…ワイヤーを結ぶ分が必要なので…とやって適当に700mmくらいにカットしたんだったかな。
チューブは素直に660mm…ではなく、ワイヤー結ぶところは開けておくので640mmくらい。で、チューブにワイヤーを通し結ぶとこうなります。
わっかの大きさと塩ビチューブの摩擦とゴミ箱の溝でうまいこと止めておこうという仕組みです。チューブもワイヤーもちょっと長かったんですけど、めんどくさいんでわっかを多少歪めつつもそのままGOしちゃうことにしました。
ゴミ袋をかけた姿です。
思いのほかしっかりと固定されています。
ただ・・・
そんなにゴミ袋隠れてる感ないですね。上にもしゃもしゃ~となってないだけ良いのかもしれませんが、少なくともおしゃれ感は感じませんでした!まじかー
なんかこう、袋自体が紙袋とかね、フランスパンとかオレンジを詰めてて、坂道でオレンジごろごろ落としちゃってイケメンと出会っちゃう用の紙袋とかならこんなわっか付けなくても様になる気がするんですけどね、あいにくオレンジ転がす趣味がないもんで・・・
基本的に液体のついたゴミとかはキッチンの蓋つきゴミ箱に捨ててるんですが、シールとかコロコロのはがしたやつとかやっぱ内袋は必要ですからねえ。見た目は割り切って使うしかないですね。
サインペン
サインペンが楽しいです。イチオシは三菱鉛筆のリブ。
写真すいません、ぜんぶ適当だけど特にPILOTの“SUPER”めっちゃぎこちなくなっちゃった。
似たようなサインペンだけど、それぞれ特徴があるのです。
①ぺんてる サインペン
超王道。1本1本袋に入って売ってます。サインのために使われてるサインペンだ。
ペン先がしっかりしてます。わずかにチューリップ型になってて、文字を書くときにカドを作れるから味のある字になるんじゃないかな。
インクは黒い。書き味はちょっとガサガサしてるけど、書きごたえがあるとも言える。
②PILOT スーパープチ<中>
形はぺんてる、ロゴは三菱鉛筆リブと似ている。いやどっちが先か知らないけど。
インクがややグレーですね。書き味はカサカサくらい。あまり筆圧強くない方がいい。
ほんのわずかにインクが粘るので、「い」とか「ゆ」がいい感じになるかも。
③三菱鉛筆 サインペン リブ
毛筆タッチと言いながらほとんど毛筆ぽくない。
一番お上品な形とロゴデザインな気がします。まるっこくてかわいらしい。
なんといってもその書き味がおすすめ。さらさら、すらすら。つっかかりません。
そして、インクがきれいな黒でムラがない。曲線を描くのに良いと思います。
僕はイラスト用に買って、なかなか気に入ったのです。他にもハガキや郵便物の宛て名書きにもおすすめ。ボールペンよりしっかりした太さで、油性ペンみたいなにじみやインクだまりもないです。
これは酉年の年賀状用にリブで描きました。影はサクラクレパスのピグマ01ですけど。
ちなみにスケッチブックはマルマンのクロッキー(クリーム)。簀目があって薄いけどインクのにじみがないいい紙です。あまり分厚い画用紙はなんかとっつきにくいしもし破って捨てる時も抵抗感があるからね。気楽に描けてよいです。ほんとは鉛筆とかコンテに向いてる紙と思うけども。
たまには絵を描きたいものですね。やっぱり楽しい。
2016年の読書と『この世界の片隅に』
※引用記事はかなりクリティカルなネタバレあり。この記事も少々ネタバレあります。
ほんと本やら映画やらは思わぬところで繋がってくるもんですね。
去年、古事記を読んだこと、参考に読んだ漫画『ぼおるぺん古事記』がこうの史代さんの作品ということ。
その後、こうの史代原作の『この世界の片隅に』のことを映画公開日に知ったこと。
ひとつこの映画の考察記事をご紹介します。
(以下引用)
この光景に重ねられた「この国から正義が飛び去ってゆく」ということばは、あたかも「アキツシマ=トンボの国=日本」から「アキツ=トンボ」が飛び去って行くことと呼応するかのようだ。
古事記では日本の雅号(褒め称える異名)として「秋津洲(アキツシマ)」というのが出てくる。
この秋津っていうのはトンボって意味で、日本列島の形を示しているのか、昔の日本はとにかくトンボが沢山いたのか、実際に日本は湿地が多くて豊かな水源があって、トンボは豊穣のしるしとして用いられたのかもしれない。
ちなみに日本の別の異名として「葦原の中つ国」というのもあって、これは神の住む高天原や死者の住む黄泉の国と人の世を区別する表現なんだけど、現世はやたらと葦が生えている土地だと。そういう表現。
葦が群生する湿地帯というのはトンボも多いだろうし、かなりビジュアル的に納得できると思うんですよね。
また、葦が群生というのは人間を示してもいるらしい。神/人間/死者という区別に対応してるんだけど、ちょっとこれはパスカルの「考える葦」を思い出しちゃいますよね。
パスカルは17世紀フランスの人物、古事記は8世紀に日本で編纂されたわけですからロマン溢れますね。両者同じく、葦をひょろっとしてて頼りない弱いもの、それでも群がって強く広く繁栄するものと認識しているはずです。
古事記に書かれている神々の勢力争いは実際にあった氏族同士の戦いを表したものとする説もあり、もしそうだとしたら、当時の日本の中枢だった近畿地方がまさにその争いの場であった可能性が高いです。
ちょうど去年は『村上海賊の娘』を読んだのだけど、戦国時代の近畿地方もまた葦原が広がる大湿原だったという描写がある。そういう意味で、『この世界の片隅に』で描かれる干潟や、広島のデルタは西日本地域の土地の歴史を思い起こさせる。
ちなみに聖徳太子の時代を描いた『大和燃ゆ』シリーズも去年読んだのですが、当然西日本が主な舞台で、瀬戸内海を遣隋使、遣唐使の船が幾度も行き来する情景も重なってきました。
こうしてエンタメ的な『村上海賊の娘』から『古事記』勉強、そして古代史勉強を経て改めて歴史ロマン『大和燃ゆ』を楽しみ『この世界の片隅に』の昭和へとジャンプしたところで2016年の個人的西日本ブームが収束したわけです。
もともと歴史では人類史や縄文時代みたいなうんと古い時代が好きだったんですが、古事記や大和燃ゆに触れて弥生時代や古墳時代以降の豊かさにもやっと気づくことが出来ました。
これが思わぬつながりで昭和にタイムスリップしたいま、わたくし個人的な3大興味ない時代(古墳・戦国・昭和)のひとつであった昭和についても興味が出てきてしまった次第であります。
そして、私の手元には友人から貰った「昭和史」の本が。
2017年に続く・・・
----------------
なんとかまとめに漕ぎつけたところ大変不格好なのですが、
冒頭でご紹介した記事でもうひとつ、ビビっと来た点が。
孤児の母親の耳からドサリとわき出すウジ虫に、虫の営みを感じるのは高等テクニックすぎません??
最初は急いで飛ばしてしまったことなど非常に正直に書かれているのを読んで、自分を振り返って、作品を鑑賞するとき色々と逃げていること、無意識に見なかったことにしようとしていることがたくさんあるんだなと気付きました。が、ウジはさすがに逃げたくなるじゃん・・・
連れ帰ってきた子からわくシラミと痒みを感じる北条家の人々というのは目から鱗でした。というか自分がずっと欲していた「痒みの表現」を見落としてたというのが、悔しいな~。絶対にウジの件でビビってましたね自分。あの子に対して。
映画とか小説とかで、例えばブーツに水が入って足が痒いとか、肌に触れる木綿がチクチクするとか、そういう事を表現するのはものすごく難しいしほとんど見たことがないなあと思っていたんだけど、それがあった。
特に、シラミの飛び方がほんとに緻密に描かれていて、あのハネ方とあの音の痒そうさといったらない。
この映画は「日々の生活をリアルに感じさせる」という感想が多いけど、そのリアルを浮かび上がらせる芸の細かさときたら呆れるほどの丁寧さですよね。
恐ろしい描写の背景にこそ、強い思いや意思が描かれていると考えるべきですね。
それを無理やり直視することだけが正しいわけじゃないですけど、余裕があるのならそういう事まで汲み取れるような見方を身に付けたいなと、単純に憧れました。
映画レビュー:この世界の片隅に
言葉にならない
なのにブログに書くんかいなっちゅーね。
Twitterで感想が書けないことで話題のアニメ映画、『この世界の片隅に』です。
舞台は第二次世界大戦さなかの広島県呉市・・・「あっ、戦争モノかぁ・・・」と思った方待ってください、頼むから待ってください。ちがうんです。お願いですから・・・
火垂るの墓で一生の心の傷を負った御仁は多いことと思います(貶してません、影響力の大きさです)。また子供の頃からの教育と、いかにも感動をテーマにした反戦映画の数々に我々日本人は万年食傷気味であることは僕も身をもって実感しております。
それらの多くが戦争の悲惨さをクローズアップし、切り取り、目を背けたくなる事実を強引にでも記憶させる意図を持ったものであったし、テレビドラマや大衆映画としてはある程度商業的な判断が必要でもありました。
しかし、本作はちがう。前述のとおり、散々戦争の悲惨な場面を切り取った映像を見続けてきたはずなのに、ふわっとした絵柄で日常の愛しさに溢れるこの映画を見てやっと、当時生きた個人個人にとって、戦争、空襲、そして戦時下の生活がどういうものだったかを初めて実感することができたんです。悲劇だけを切り取った映画ではなく、大部分が暖かい生活の描写であったからこそ、私たちの生活と繋げて受け止めることができたんです。
なので、全くもって泣かせに来たりしません!結果的に泣くだけです!断じて「泣ける」映画じゃないです!そういうのやめてください!
公開5日目現在、ネット上は絶賛の嵐で人によってはTLがすごいことになってしまい、同調圧力めいたものを感じて引いてしまってる人がいるように見受けられます。
わかる。あんまりみんながすごいすごい言ってると斜に構える。
ただ、最近ときどき起こるこういう事態って、SNSが出来て初めて可視化された現象ですよね。その性質も相まって集団のベクトルが増幅されてしまう事もあり、あまり見慣れないコミュニティの大きなうねりに不安を覚えるのかもしれません。
それでも、そういう状況を超えてなんとか劇場にたどり着いてほしい。
◆なぜ言葉にならないのか
映画を見ていただければ実感としてわかるんですが、映画宣伝の常套句みたいなものが何一つしっくりこないんですよ。「泣ける」違います。「よかった」浅い。「面白かった」エンタメではない。「クスリとした」したけど全体を表してない。「ためになった」なるけど記録映画じゃない。「考えさせられた」考えるというより感じる。
最後の「感じる」が近いと思うんですが、見終わった後は不思議な感情そのもの、感情の生データしかないわけです。だからみんなこぞって「見てください」と言うんです。映画好きはみな、それなりの格好いい言葉でオススメしようと思ってたのに、何も言えなくてもどかしさに泡吹きながら「みて・・・」とだけ呟きます。
◆緻密さ
映画で描かれる広島市や呉の町並みは、入念に実在の建物と人々を調査して描かれたものという事です。そして呉に配置された戦艦や空襲の日の天気まで、徹底的に反映させる。これが圧倒的リアリティを生む。絵はアニメテイストなのに、実写映画をはるかに上回る実在感がある。
空襲の戦闘機の音、砲弾の破片が瓦や生活用品を鋭く破壊する描写、防空壕で聞く爆撃音、これらの恐怖感はちょっと他の創作物で体験したことがない。
映画館の音響に左右される部分もあるせよ、防空壕のシーンは本当に映画館のすぐそばに着弾したような振動が全身に響くし、砲弾の破片の鋭さは鋭利な刃物を目の前にしたかのように明らかな殺傷能力を感じて身がすくむ。
また、スズメや野鳥のさえずりが聞こえる長閑な日を突然空襲が襲ったりして、映画としては不穏な空気を全く演出していないのに、当たり前の日常に突如戦争が割り込んでくるその現実が一番怖いということがわかる。
これに関しては映画館で体験することにかなり意味がある部分だと思う。
◆エロい
すずさんは全然そういうタイプじゃないんですよ。
天然ボケで子供が抜けきってない感じで、キャラクターとしても素朴。
なのに水原のあのシーンはなんだ。
めちゃくちゃ触れたくなる横顔。水原…よく我慢したな、膝枕はして貰ってたけど…
そして夫の周作との微笑ましいシーンも。奥さん色っぽい。なにこれ。
◆主演:のんについて
陰謀論はいただけないですね。すぐ物事を何かの怒りに持っていってしまう人が稀にいますが、哀しいです。いったいこの映画のなにを見ていましたかと。
個人的には、しばらく前に映画雑誌のCUTでインタビュー(海月姫だったかな)受けてた時、作品とキャラクターの背景についての考察がびっくりするぐらい鋭かったので、たいしたもんだなあと思った記憶があります。今回もパンフレットで監督がその点を指摘してるし、本人のインタビューでもキレキレです。
しかし圧倒的にコミュ障だとおもうので、芸能界というか社会的に暮らしづらいだろうし、ときたま人を怒らせるだろうなという想像ができるので、なんというか気の毒だけど。
と、そんな性格も相まって、少し抜けてるとことかすずさん役にぴったり。技術的に上手というよりは、憑依とか同化って感じ。もうすずさんはこの声じゃないとダメ。
「生きるっていうことだけで涙がぼろぼろあふれてくる」
彼女が試写会で発した言葉だそうですが、ただ一人この作品を一言で表すことができたというのが凄い。
以上、なんだかやっぱり上手くまとめられなかったけど、とにかくこの感情をアウトプットしたかったので3日間悶々とぐるぐるぐるぐる考えたことを吐き出しました。結果的にネット上の意見をなぞってるだけっぽいけど。
とにかく伝えたいのはただ一つ、この映画を、観てください!おねがい
iPhone7 特記事項なし
iPhone7買いました。
今までに4、5、6を買ってるので律儀にきっちり2年おき。最近はバックアップのおかげで復元しちゃえばあまり変化がないから興奮もないです。
スペック的にも谷間の機種になりそうですね。来年は7Sではなく8になるという観測もあるし、VRとかもう一歩進んだアップデートになるかもって話ですね。有機ELはなんだか技術的に足踏みしてる感があってどうなるのか微妙だけど。
なので7のトピックとしてはホームボタンの変更とイヤホンジャック廃止くらいかな。
ホームボタンは物理ボタンとは全く違うけど、これはこれで面白いなって感じ。Tapticエンジンというのが入ってて、これがクリックっぽい振動を起こすギミック。
どちらかというとiPhone本体の背面の方がが揺れる。片手で持ってるときはクリック感強いけど、机に置いてボタン押したりするとよくわからない事もある。いまのところ実用面で困ったということはないかな。この物理ボタンと微妙に違う違和感が楽しくて無駄にクリックしている。
イヤホンジャック廃止に対してはこれを買いました。
ELECOM エレコム iPhone6s/6s Plus/Android/タブレット 対応 Bluetooth オーディオレシーバ ーNFC・AAC対応 ブラック LBT-PAR150BK
- 出版社/メーカー: エレコム
- 発売日: 2014/07/28
- メディア: エレクトロニクス
- この商品を含むブログを見る
3千円前後というのは安いですよね。Amazonは黒が欠品してたのでビックカメラの通販で購入。より安い。
しかもこれ発売結構古いのね。安定して売れてる商品ということでしょうか。いままで使ってたイヤホンが使えるし、断線してもイヤホンだけ買い換えればオーケー。
もともとiPhoneで音楽聴く勢だから音質はこだわってないけど、ライトニング端子でイヤホン接続するよりBluetooth4.0でAAC形式に対応してるこれの方が音質は良いらしいですよ。
そもそものイヤホンジャック廃止についてはなんや不便やなあという思いはある。適当に引っ掴んだイヤホンがそのまま使えるのが一番楽だし。ただAppleとしてはBluetoothを使ったら違う世界があるよっていう提案をしたかったんだろうね。
インタフェースが変わるのって本来ユーザーに負担をかけることだけど、僕の場合はわりとその新体験をコンテンツとして楽しんでる部分があるので今回も乗ってみました。
別にとれたてピチピチの新しい技術ではないけど、いざ使ってみるとワイヤレスってなんかフワフワした新鮮味があって楽しいです。ちょっとしたら慣れてなんでもなくなるだろうけど。
あ、もう一個あったな。
以前の記事でDラインをボロクソに批判しましたが、めでたく改善されました。
ブラックは背面が完全に黒になったのでもうほとんどわかりません。ただ、完全に見えなくして欲しいと思ってたわけじゃないんですよね。ゴールドとかローズゴールドの白いライン処理もグッドだと思います。要はデザインになっているかどうか。“D”ではなくクランクした一本線にしたことで近未来的な雰囲気にもなってると思う。
Suicaはな、今PASMOで定期持ってるし、新幹線のEX-ICカードも携帯してるからメリットがなくて。あとなんか・・・あ、今回SIMフリーなんですよ。これからMVMOデビューします。どこにしようかな~。