後編はちょっと地味かもしれないですね。なのに増え続ける文字。
***橿原***
橿原考古学研究所附属博物館
非常に良い。石器時代から古代が中心というまさに求めていた博物館。
ここはね…とにかく史料が豊富で全く時間が足りませんでした。1日いられるね。次回奈良に来るとしたら飛鳥と纏向があるから、それと合わせてまた来たい。最初の石鏃、石斧からめちゃくちゃ詳しいし、復元模型も研究所ならではの学びの深いもので来る価値がある。
そんな中からひとつ、ちょっと古代の印象を変える模型展示があったので写真でご紹介。
神憑り的巫女による祭祀風景ですが、この装束はちょっと無味乾燥な古代イメージとは一線を画していてよくないですか??このアングルだとわかりづらいですが、巫女は鳥の頭の被り物をしていて、両腕は鳥の翼を模していて先っちょには鳥の羽をあしらっています。
翼にあたる部分の装束の柄がいいですよね。跪く男女の腰帯と同様に、三角形のギザギザというのは鱗文様でしょうか。魔除けの意味合いがあるとも言われている文様です。なんというか、この大胆な文様があることで当時の情景が一気に鮮やかな印象に変わりました。
この旅行を通じて思うに、古代って結構明るくて軽やかさのある色が多かったかもなって思うんですよね。神社の朱と緑なんてその筆頭で、紅より朱の方がフワッとした印象ありますよね。古都奈良の枕詞はあおによし。まさにその青(=緑青)と丹(=朱)なわけです。古事記や日本書紀の物語って意外とパステルカラーが似合いそう。
話は戻りますが、これらの模型展示、現代的なフィギュア造形も相まって非常に躍動感のあるリアルな模型だと思います。より現実のものとしての想像ができるというか。
最近知ったところによると、古代は一般人含め刺青文化もあったということなので、ぜひ刺青のある古代人フィギュアどこかで見たいですね。
神武天皇陵
畝傍御陵前駅からの道を進むと、畝傍山が見えてきます。雨上がりの天気もあって何か神聖な雰囲気があるような。そもそも山々の雄大さこそが信仰を生んだのだとも言えるけどね。
といいつつ、この神武天皇陵は本当に神武天皇のものかどうかはわかりません。畝傍山の東北山麓という記述を頼りに、江戸時代初期に比定されました。
この話は何段階か説明が必要で、ざっくり言うと
①神武天皇じたい実在したのか不明
②中世まで神武天皇陵が認識されていたが、それが正しかったのか不明
③江戸初期に比定した現在の場所はむしろ怪しい
という状態。さらに①については「実在はしたが伝承としての創作を含み、時代や事績どこまでが事実か不明」というように細かく見方も分かれるので、何をもって神武天皇陵とするのかという定義すら曖昧になってくる。
③は幕府の権威高揚という側面があったので、それらしい場所であれば良かったという見方がある。実際、江戸幕府が修繕するまでただの田んぼの中の小さい塚でしかなかったとか。
そして、周囲の鬱蒼とした森も幕末以降になって植樹したものということなので、畝傍山はともかくこの陵墓自体はあとから整えた場所です。
境内も建物も広々と大きく造られてます。創建は1890年と近代。
神武天皇の宮があったとされる場所。つまり初代皇居ですね。
1940年に紀元2600年祭が行われたりと、まあ色々と政治的な意味合いもあることでしょう。
ただそれだけ天皇家にとって大切な意味合いを持つ場所なので、公式サイトから年中行事までプロモーションの濃度は抜群な気がします。とはいえ多くの神社も創建当初は国家レベルあるいは地域レベルかもしれないけど、政治(まつりごと)に深く関わるものであったはず。これだけ立派なものが立つのは人々の想いの表れでもありますよね。
ちなみに、ここにある「崇敬会館」は名前からしてオッという感じしますが、その見た目も、すごい斬新でかっこいいんだけど、えー、、こういうのいいのかな、新たに興した感のある色んな意味で味わい深い建物なので、個人的には必見ですね。
なにはともあれ立派な拝殿と背後の畝傍山、そして西側には蓮の広がる深田池と緑あふれる良いところです。
***斑鳩***
広い!子供の頃来たはずだけど、ぜんぜん覚えてないなあ。
この日はですねえ・・・朝到着してカメラを取り出したら、壊れちゃってたんですよ。かなりさげぽよですよね・・・
(後日、オリンパス修理センターに持ち込み直りました。有料で。)
今回の目玉なんですよ。全編の冒頭で紹介した遥かなる大和シリーズを読んで聖徳太子、小野妹子、蘇我馬子らの活躍と策謀の舞台である斑鳩にがぜん興味が沸きまして。
この土塀の連なりや回廊を歩いていると感慨深いものがありますね。彼らはどのような思いでこの場所を歩いたのかと。
ところで、聖徳太子非実在説というのはわりと有名でふわっとした形で一般にも広まってしまった部分があると思います。ですが、実際のところ、厩戸皇子は実在して法隆寺と斑鳩宮を建てたことはほぼ定説となっています。
問題になっているのは、仏教的聖人としての聖徳太子であり、それは太子信仰が後世に興ったことで脚色や誇張が多分に含まれるのではないかというところです。これを前提とすると、聖徳太子について書かれた記録すべてが疑わしいのではないか、となりそもそもすべては創作ではなかったか、というとこまで振り切った説が話題になりました。証拠がなければ証明できないというのはまあその通りなんですが、そこから非実在まで行ってしまうとそれはそれで証明も難しく言いすぎじゃないかなとは思いますね。
西院伽藍の金堂と五重塔です。
金堂は中に入れるのですが、ここの四天王立像が興味深かったですね。四天王それぞれが邪鬼を踏みつけてはいるんですが、なんというか行儀正しい。一般的なもがき苦しむ邪鬼ではなく、原辰徳もびっくりのグータッチポーズ。持国天像の踏んでる牛顔の邪鬼はなぜか乳首が妙に強調される四つん這いポーズで腹立たしさがひと際輝いていましたね。
境内どこを見ても国宝重文だらけなんですが、大宝蔵院がまたすごい。充実の寺宝展示、有名なところでは玉虫厨子と百済観音かな。
このあと、東院伽藍の夢殿も見て、お隣の中宮寺も立ち寄りました。
この日はレンタサイクル借りたんです。法隆寺だけならいいんだけど、周囲の寺社をまわるとなると足ではきつい。真夏ならなおさら。それでもタオル首にかけて汗を拭きつつだったけどね。
そしたら斑鳩神社の裏手の道から白線と自転車マークのレーンがあって、辿っていくと自然に法輪寺に着く。山あいを抜けてくサイクリングロード、短いけど気持ちよかったな。ちゃんと近道でアップダウンなく造られてて関心。
中宮寺の真北方向かな、途中斑鳩神社に寄って、丘沿いを進んでものの数分。聖徳太子の子の山背大兄王が建てたとされる寺。三重塔は1975年の再建だけど、法隆寺の2/3スケールで作られてるっていうのがよくわかる伽藍配置。
法輪寺出てすぐのところ、イチヂク農園と直売所があって、一帯がイチヂクの香りがしてすごかったな。ちょっとお香というか、とろんとした甘い香りでなんとなく陶酔的な香りですね。
ここの三重塔は国宝で、706年頃の建立とみられる。なんとなく、腰がしっかり入っているというか安定感のある塔。小さいけど庭もなかなかポテンシャル秘めてる感はあるのだけど、一部の建物が完璧に歪んで壊れてたり、塀の一部が崩れて雑草だらけだったりと管理の限界的なものがありありと見て取れるところが心配になる。お金ないのかなあ・・・
法起寺からさらに北東へ1.5km、禅寺で茶道推しのお寺。
ここだけ江戸時代の史跡。拝観1000円で必ず付く抹茶と菓子を頂きながら眺める庭もさることながら、一番の目当てにしてきたのが「石州麺」でございます。
写真がイマイチになっちゃったけど・・・
麺はひやむぎ、というか稲庭うどんのより細いやつって感じ。冷たい麺で、汁はあっさりしためんつゆ系にすりごまを効かせた一杯。いや~~~これうまい!
この日一番目の食事のお客さんになったみたいで、お寺の方々を慌てさせてしまいました。座敷の奥から聞こえるキッチンの音。一方で住職のおじいさんはのほほんとして、「そこの扇風機使ったらいいよ、あっついだろう、座っとけ座っとけ」とめちゃくちゃフレンドリー&フランクでした。自分でコンセントさして年代物の扇風機のスイッチガコっとつけて、座布団で麦茶を飲む時間、プライスレスですね。
暑かったけど、時々涼を感じたりもして良い夏休みでした。またもや長くなったな。仮に最後まで読んだ方いらっしゃったら、お疲れ様でした。